「こんにちは!」新代表者紹介インタビュー

<第242回>
Hitachi Construction Truck Manufacturing Ltd.
CEO 濱町 好也 Yoshiya Hamamachi

Mr Hamamachi

今回はHitachi Construction Truck Manufacturing Ltd.、濱町好也氏へお話を伺ってきました。2022年3月より日立建機によるダイレクトオペレーションに代わり、現在の基盤事業である部品販売事業に加え、マイニングダンプ(190㌧~300㌧積みダンプ)の並行生産、更には再生事業の立ち上げ準備を進められている同社はトロントから東へ1時間程のグエルフに工場を構えられています。船舶専門学生時代、世界一周をされた経験、ご趣味であるボーリングのお話などもお聞かせいただきました。濱町氏は、今期商工会副会長を務めていただいております。

-御社の事業内容の紹介をお願いいたします。
私共は、もともと製造会社としてやっておりましたが、様々な経緯があり製造部門を一旦たたみました。何で食いつないでいたかというと、これまでに世界中に納車した機械のアフターセールスサービスとして、メンテナンスに必要な部品供給をメインの事業としてやってきました。

全米にパートナーがおり20数年パートナーシップを築いておりましたが、それを解消すると2011年8月19日に正式にアナウンスをして、去年2022年3月1日から当社のダイレクトのオペレーションに代わりました。それを機に、米州に唯一残った生産工場であるHTMのプレゼンスを上げていこうということで、現在取り組んでおります。

或る時期より生産を中止していますので年々マシンポピュレーションが少なくなってきており、当然、部品の売り上げもそれに準じて下がってきます。そこで基盤事業に加え、マイニングダンプの並行生産や再生事業への取組みを日本側に提案し、やっと認可が下りました。今まさに準備をしている段階です。

また、もともとボディと言われるダンプ荷台部分の納入実績がグループ会社で最も多かった事、更には、現在の設備をより有効活用したいと言う事で、ショベルのバケットも含めた製造の提案を行っています。

EH5000AC-3
EH5000AC-3:HTMにて組み立てを行っている当社製品の中では最大級ダンプの1号機が現場で組み上がった時。トレーラー10数台に分けて運んだ部品を現地で3週間ほど掛けて組上げる。この顧客には合計10台納車予定。

こちらはまだ正式に認可はされておりませんが、この模型を見て下さい。一番大きいEH5000というモデルです。総重量が500トン(積載重量300トン)になるのでEH5000と言うネーミングにしています。先程申し上げましたが、マイニングダンプの並行生産を去年から行っており、去年後半からEH4000という機種を3台製造しました。今年は一番大きいダンプとなるEH5000と言う機種を6台含め、合計で9台を製造予定です。2025年度には30台ぐらいやりたいなと思っております。

ただ、今の製造という意味で言いますと、まだ組み立てなんですね。日本から全部部品を送ってもらい、こちらで組み立てています。現地産化ということがこれからキーになっていくかと思いますので、できれば構造物関係含めて全体のボリュームの50%ぐらいを目標に現地産化率を上げて行きたいと思います。逆にそうしないと本当の意味で日本側のサポートにもなりませんしね。

加えてコンストラクション系のダンプ(60トン~100トン積み)も手掛けたいと思っています。マイニングダンプはコモディティプライスにより、ものすごく需要がアップダウンしますのでそこに頼るのではなく、基盤事業とコア事業に分けて、市場動向に大きく影響を受けず常に会社を支える収益源となる事業を軸にしっかり土台を築き、その上に乗っかるような形で、新たな3つの事業(バケット・ボディ製造、コンストラクション系ダンプ製造、マイニングダンプ製造事業)を展開すべく、準備を進めております。

-御社の強みについてお聞かせください。
北米に二箇所、南米に一箇所工場がありましたが、ブラジルとアメリカの生産拠点をパートナーに引き渡し、残ったのはここだけです。ですので、強みというのは当社が米州に唯一残った生産拠点だと言う事です。ここで色々な製造に関する業務を展開することで当社が米州に於ける製造の核になるのではないかと思っています。

-今後の展望についてお聞かせください。
今お話ししたように、とにかく土台をしっかりと固め、部品事業にとって変わる再生事業をしっかりと立ち上げ、基盤造りをしたいと思っております。そこが非常に重要であり、これから展開するビジネスのキーになっていくのではないかと考えております。

Hitachi

-新たなスタートですね。濱町社長ご自身についてですが、ご経歴、ご出身についてお聞かせください。
出身は高知県です。高知市内ではなく西側の四万十川近くの田舎で生まれ、15歳の頃までそちらへいました。高校で愛媛の全寮制の学校に行き、それからはずっと高知を離れております。全く今の会社とは無縁のところなんですが、船の学校に行き、そこで5年半通った後、日立建機に1981年に入社しました。入社後は、どちらかというとカスタマーサポートよりの仕事にずっと携わっておりました。

高知
高知県佐賀塩屋の浜

これまでの駐在経験としては、カナダが三か国目です。最初の駐在は1991年から97年までの6年間、オーストラリアのシドニーにおりました。その頃まだリエゾンオフィスという連絡事務所にてアポイントされた代理店のサポートをしておりました。オセアニア事務所と呼ばれていたのでテリトリーがめちゃくちゃ広く、オーストラリア、ニュージーランド、パプア、フィジーといった地域を全てサポートしていました。

その後日本へ一旦戻り、2004年から2010年まで6年間、インドネシアのジャカルタに駐在しておりました。当然オーストラリアの立場とインドネシアの立場は全然違っており、インドネシアではプロダクトサポート部門のトップを務めていました。自分がこれまで描いてきたことをインドネシアで展開してきました。非常にそういった意味では充実した仕事内容だったかと思います。

オーストラリアもインドネシアいずれも「マイニング大国」と言う異名を持つ国であり、マイニングの機械が主流なもんですから、そういう意味では今回ここの社長としていけと言われたのはこういった経歴があったからだと思っています。

-オーストラリア、インドネシアと暖かい国から冬の寒さが厳しいカナダへ来られましたが、いかがですか。
めちゃくちゃ寒いなあと思いながら来ましたが(笑)、でも夏はとても過ごしやすくて最高ですね。冬場は本当に何もすることがなく、暗い時に出社をして、暗い時に帰宅するそんな陽の目を見ない生活を送っていました(笑)。会社と家の往復しかしてませんでしたね。特に渋滞がまだひどかったもんですから、朝5時半ぐらいに家を出るとコンスタントに来れますので、そういう生活を今も続けております。

銀河丸
世界一周した船「銀河丸」

-船の学校に行かれたということですが、どんなことを学んでいらしたんですか。
一般的な高校・大学の教科に加え、材料力学や船を水の上で走らせるのに必要な水力や熱力、エンジン(ディーゼル、タービン、原子力)など専門的な分野を学んでおりました。船には大きい2階3階建てのディーゼルエンジンがついていたり、ボイラを炊いてその水蒸気で駆動させるタービン船といったものもあり、そういう専門分野の知識を習得した後に、一年間航海に出ます。

最初の半年は日本をぐるぐる回り、学校と提携している造船所で約三ヶ月間実習をし、残りの三ヶ月で遠洋航海をします。私の所属した班は幸運にも世界一周コースだったので、晴海埠頭を出航してから太平洋を横断し、ロングビーチへ。続いてパナマ運河を通過しますが、其の場合は必ず順番待ちとなるので、そこで三日停泊しました。

パナマ運河を上がっていくところは、感動しましたね。ガツン湖が一番標高の高い所にありますが、そこまでは段階的に堰き止めた区画に水を注入し、其れを幾度も繰り返して湖に到達します。湖は自走しますが、今度は逆の工程になります。

太平洋からカリブ海に抜けた後は、スペインのバルセロナ、ギリシャのピレウス、エジプトのアレキサンドリアへ行き、スエズ運河のところでも停泊をしなくてはいけないので、ポートサイドで三日ほど停泊し、シンガポールへ行って帰ってきました。一応どの船でも乗れる免許証は取りました。今となっては本当のペーパーですね(笑)。

-素晴らしい経験をされたのですね。今までで一番印象に残っているプロジェクトについてお聞かせください。
ConSite(コンサイト)という部署を立ち上げたことです。どういったことをする部署かといいますと、遠隔で機械の稼働状況を把握し、何か不具合が機械に発生した場合は緊急アラームとして顧客、代理店、管轄支店へ同時に連絡が自動的に入り、且つ、それを受けた代理店は当社のノウハウがぎっしりと詰まったマニュアルにて不具合対策を行うというものです。

一般的な工事現場で稼働しているショベルは20トン、30トンクラスのものが殆どですが、其の様な小さなショベルでも数百のセンサーが付いています。機械の各部に取り付けられたセンサ(温度、圧力等)に少しでも異常があるとそれをキャッチすることができます。

地域地域でインフラが異なりますので、機械から発信されるデータを衛星で飛ばす地域と携帯で飛ばす地域の二種類に分け、センサー状況も含めた稼働情報を全て吸い上げた上で、お客様に適切なメンテナンスの推奨や機械の使われ方の提案、また何か不具合が発生した時に代理店によってその機械を修理する、そういった部署で約四年ほど勤務しておりました。

非常に画期的な仕組みであり、最初は色々な部署から40人程人をかき集め、まっさらな部署を立ち上げてもらったので、ものすごく印象に残っていますし、今でも引き継がれている事業です。ConSiteのロゴも専門の方に依頼して投票までして決めました。「コンストラクションのジョブサイトでもっと身近にサイトを繋ぎましょう」という意味合いを持ち、いくつか賞も受賞しましたね。

-お仕事を進める上で一番大切にされていることについてお聞かせください。
我々が考えているブループリントがしっかり末端の社員まで浸透して、みんな一つの同じベクトルで目標に向かって進んでいるかということを非常に気にしており、重要だと思っています。そこがばらけてしまうとチームワークもばらけてしまい、パフォーマンスも出ないと思っておりますので、そこのベクトル合わせというのはいろいろな手を使ってやっていますね。

-プライベートについて、お好きなスポーツは何ですか。
スポーツは色々やっています。ゴルフはオーストラリア時代からやっており、歴としては長いのですが下手くそですね(笑)。インドネシアでも何もすることなかったので毎週ゴルフをやっていました。年間で100ラウンドぐらい、打ちっ放しに行くような感覚でやっていました。上達はしませんでしたが…ゴルフは好きですね。

あとは、もともとボーリングがブームになった時にちょこっとやっていたというのもあり、当時はマイボールもマイシューズも買いませんでしたが、カナダの冬場に何もすることがなかったので、友人からお誘いを受けてドライバー一本の価格でボールもシューズもバッグも全部揃うよと言われ(笑)、去年の冬から始めました。マイボール、マイシューズ、バッグも全て買いましたね。

日本にいる時は走るのが好きで、会社が主催している霞ヶ浦マラソンに出場をしてました。何も目標がないと走らないので、一年間に一回だけですがフルマラソンを走るということを目標に、年間を通して練習して、そこで試験ということをしていました。

-色々されててアクティブですね。
いやいや全くアクティブはではなく超インドア派です(笑)。
ボーリングは所属している会があり、毎週土曜日か日曜日のどちらかにみんなで集まってやっていますが、これからの季節はゴルフですね。ボーリングも続けないとまずいかなと思ってますので、丁度会社の近くにボーリング場もあるので、曜日を決めて1時間ぐらい投げようかなと思ってます。日本では全くやっていなかったので久しぶりに楽しんでます。

-今後カナダ駐在中に挑戦したいことについてお聞かせください。
恥ずかしながら実は今までスキーをやったことがありません。出身が高知ということもあり、スキーに行こうと友人から誘われたこともなかったので機会がありませんでした。始めてみようかなと思ったこともありましたが、もうこの年ですのでそれはちょっと諦めようかなと(笑)。ですので、釣り道具も買ってライセンスも買ったので、これから釣りに挑戦したいと思っています。この辺り結構いいポイントがあるみたいですね。

-最後になりますが商工会会員の皆様へメッセージをお願いいたします。
こちらに赴任して二年経ちました。今回理事を務めさせて頂き、また副会長という、長澤会長を支える立場にも関わらず、しっかりと支えられておらず少々反省しております。皆さんと打ち解けながら言いたいことを言い合える、そういった形でこの二年間理事としてやっていきたいと思っております。当然、意見の食い違いもあろうかと思いますが、其の中で最善の方向性が導き出せるようなサポートが出来ればと思っています。
引き続きよろしくお願いいたします。

-本日はお忙しい中ありがとうございました。これでインタビューを終わります。