今回はCanadian Kawasaki Motors Inc. 後藤啓介氏にお話を伺ってまいりました。長い歴史と信頼の中でKawasakiというブランドだけでなく、サブブランドを含めて北米のパワースポーツ界を常にリードされているCanadian Kawasaki Motors Inc.さん。今回のインタビューでは、スカボローの事務所へお伺いさせていただき、パワースポーツの魅力をたっぷりお話いただきました。後藤氏は、2022年1月にカナダへ赴任されました。(聞き手:酒井智子)
-事業内容のご紹介をお願いいたします。
モーターサイクル、オフロード四輪車、PWC(水上オートバイ)といったKawasaki製パワースポーツ製品および関連する部品・用品の輸入販売、またアフターサービスをカナダ各地の販売店様を通じて、カナダのエンドユーザー様に提供させていただいております。
-御社の強みについてどのようにお考えですか。
伝統と顧客価値に根差した高いブランド力や製品競争力です。当社が初めてモーターサイクルの販売を始めたのは1961年ですが、米国には1966年から進出しており、1974年にCanadian Kawasakiが設立されました。同年には米国ネブラスカ工場でのモーターサイクルの現地生産も開始しています。
そうした長い歴史の中で、Kawasakiというブランド名だけでなく、Ninja、Z、KX、Jet Skiといった各製品群を代表するサブブランドまで含めて、カナダ市場に於いて多くの皆様に認知していただいております。
Kawasakiで働いている、というと、オオッ!というリアクションが返ってくるのはカナダを含めて欧米ならではですね。前任地のアメリカからカナダへ来た際の入国審査時にもオオッ!と言われました(笑)。日本に比べると、自然の中でパワースポーツ製品を使って遊ぶというのが日常的に行われているので、当社のブランドは広く認知されているということが大きいと思っております。
-パワースポーツについて、ご説明下さい。
エンジンやモーターがついていて、いわゆるコミューティングではなく、遊びに使うオートバイやバギー車、ジェットスキー、また当社での取り扱いはありませんが、スノーモービルを北米ではパワースポーツというくくりで一般的に呼んでいます。当社のバギー車は雪道も走れますので、オンタリオの北の方やケベック、アトランティックカナダではトレイルコースを走行したり、また西の方の農村地帯では農作業に使いつつ、週末には荷台に色々積んで遊びに行くという使い方もされています。石油精製所のような場所では、作業で使用いただいております。
元々はATV (All Terrain Vehicle)というバギー車が主流でしたが、現在は丸形のハンドルを付けて横に2人乗ることができるサイドバイサイドという、より自動車に近いものにお客様が移行してきております。それに伴い、エアコンが欲しい、ウィンドスクリーンなどお客様の要望もどんどん車寄りになってきていますね(笑)。ただ、走破性は凄いですね。四輪駆動の自動車でも全然行けない所へ入っていけます。
-今後特に力をいれていきたいことについて、お聞かせ下さい。
コロナパンデミック以降、ソーシャルディスタンスが取れるアウトドアレジャーが盛んになる中で、当社のビジネス領域にも新規のお客様がかなり増えました。今までパワースポーツ製品を使って野山で遊んでいらっしゃらなかった方が入ってこられ、地域によっては6割が新規の方という状況です。今後もお客様に密着した製品・サービスの提供により、お客様一人一人とのつながりを大事にしながら、パワースポーツの楽しさ、というものを継続して広めていけたら、と考えております。
また、当社のカンパニーミッションは“Let the good times roll” 、「楽しい時間を過ごそうよ」といったような意味合いになると思います。商品そのものの加速性や走破性がすごいといったことももちろんありますが、その商品を使って楽しい時間を提供することが我々のフィロソフィーです。せっかく裾野が広かったので、これを大事にして今後も繋げていきたいと考えております。
おかげさまで需要に生産が追い付かない状況が長らく続いており、多くのお客様、販売店様に大変なご迷惑をおかけしております。嬉しい悲鳴、などと呑気なことを言ってはいられない状況なので、日々悪戦苦闘しながらなんとか状況を改善しようと取り組んでいるところです。
また、先程も申し上げましたが、北米では近年オフロード四輪車、とりわけ世間一般にSide x Side (サイドバイサイド)と呼ばれる乗り物の人気が非常に高まっています。トロント近郊でもBass Pro Shopに行くと他社製ですがそのような商品が並んでいるのを目にした方も多いかと思います。
オートバイやスノーモービルですと、多くて2人乗りですが、Side x Sideはものによっては、4人~6人乗ることができるので、子供を含めて家族みんなで遊びに行くことができるんですね。また荷台もついているので、作業に使うこともできます。
当社としてもこの領域には力を入れていて、レジャー用途に特化したTeryx KRX1000や、作業用途にも適したMULE PROシリーズといった製品群が市場から高い評価を受けております。
-後藤社長ご本人ついてお伺いいたします。ご出身から今までのご経歴について、お聞かせ下さい。
生まれは九州の鹿児島です。幼少のころは桜島の噴火がかなり盛んで、常に火山灰まみれになりながら外を走り回っていました。鹿児島に住んでいると、東京への憧れが強い人が多いのですが、私はなぜか東京までいく勇気がなく(笑)福岡の大学へ入学しました。卒業後、川崎重工業株式会社に入社しました。さすがに就職したら東京へ行きたいと思っておりましたが、配属先は神戸でしたね(笑)。
学生時代から他社製ですがオートバイは通学の足兼趣味としてずっと乗っていましたが、入社を志望した理由はどちらかというと重工業側の製品群に魅力を感じたからです。入社後、恐らくバイクが好き、ということが会社側にもバレていたからだと想像していますが、結果的にオートバイを主力とする事業部に配属となりました。
入社後すぐの配属は調達部で、大手ではなくどちらかというと中小の取引先様を多く担当する仕事でした。町工場の経営者の皆さんやたたき上げの職人さんとの仕事は、これまでの人生で全く経験してこなかった世界で大変興味深く、この時期にモノづくりの奥深さ、偉大さを骨身に染みるまで教えていただいたと思っています。
-カナダ駐在前のご経験について、お聞かせ下さい。
調達部で6年ほど過ごした後、全く英語も出来ないのに何故か営業部門に転属されました。最初の1年は国内市場と当時業務提携していた同業他社さんとの営業窓口業務を担当していました。その後、カナダ、オーストラリアといった市場担当を少しずつやらせてもらうようになり、3年後の2007年にオランダにある欧州本部に駐在することになりました。
当時のオランダ本部には日本語が堪能な英国人スタッフがいらっしゃって、彼女にいちいち英文の添削をお願いしていたのを懐かしく思い出します。オランダで約3年6ヶ月を過ごした後、今度はフランス支店へ支店長としての転勤を命じられました。英語はようやく日常会話程度なら何とか、というレベルだったのですが、今度はフランス語、と頭がクラクラしそうになりながら、仕事も生活も四苦八苦していた記憶があります。
フランス時代は日本人は私一人だけ、という拠点でしたので、やることも多くて日々勉強といった感じでした。当時苦楽を共にしたフランス人スタッフとは今でも強い絆で結ばれている、と私が一方的に思っています。
フランスで5年過ごした後、日本へ帰任になり、いわゆる海外営業部門で今度は北米を中心に担当しました。その後、2019年末にアメリカに赴任、そして2年後の2021年末にカナダに赴任しました。カナダは4カ国目ですね。
-ヨーロッパと北米の違いについて感じた点はどのようなところですか?
オートバイの浸透度合いが、実はヨーロッパの方が全然深いということですね。ヨーロッパでは通勤通学にもオートバイを使用します。パリなんかへ行くと、今は電動車しか入れなくなったりしておりますが、昔は通勤でオートバイが道に溢れていました。
フランス駐在当時、自社のレースチームの運営にも関わっていましたが、ルマン24時間レースというのは自動車では有名ですよね。実はオートバイバージョンやトラックバージョンや色々なバージョンがあるんですよ。日本ではあまり報道されませんが、オートバイのルマン24時間レースは結構ポピュラーで現地で開催されると沢山の観客が集まります。
パリから南へ車で2時間程下ったところでレースをしますが、レース当日は高速道路の料金所にオートバイ専用レーンが設けられて、オートバイが無料になります。またパリからルマンまでの高速道路の高架に地域の方が集まり、レースに行く人、帰る人に手を振ったりと、オートバイが文化としてすごい浸透しています。逆に北米は、家族で週末に遊びにいくという意味で、ファミリーレジャーとして浸透してると感じています。
-いままでで印象に残っているプロジェクトについてお聞かせ下さい。
楽しかったことより苦しかったことのほうが嫌でも記憶に残っていて、やはりリーマンショック時の経験は今思い出しても強烈でした。私が赴任したのが2007年で、当時はリーマンショック前のバブルのピークで、オートバイも飛ぶように売れており、全然供給に間に合いませんでした。日本から飛行機や貨物機をチャーターして数千台単位でチャーターしましたので、フォワーダーの方々からすごい感謝されましたね(笑)。
翌年の2008年に急にリーマンショックとなり、当時私はオランダにある欧州本部にいたのですが、スペイン、イタリア、ギリシャといった南欧を中心に急速に需要がしぼみ積みあがっていく在庫を前にして、その立て直しのために、それこそ寝る間を惜しんで働きました。本当に苦しかったですが、あそこをやり遂げたのはその後の自信にはつながっているとは思っています。
その後のフランス赴任は、そんな自分への会社からのご褒美だったと思っています。実はフランス赴任後に、フランス市場にもリーマンショックの影響が時間差で現れ始めたのですが、それより数段強烈な需要収縮を別の市場の対応で経験していたので、慌てることはほぼ無く対応が取れたと思っています。
-お仕事を進める上で大切にしていることはどのようなことですか。
くさい言葉かもしれませんが、「目配り、気配り、思いやり」という言葉は常に胸にあります。これは新入社員時代に一緒に働かせていただいていた大先輩、もともとは工場の現場で100人単位の部下を纏めていたような職場長さんなのですが、その方が仕事をしていく上で心がけるべきこと、としてよくおっしゃっていた言葉です。
大企業の調達部とその下請けの中小企業の関係、というと一般的には上意下達の最たるものというイメージを持たれるかと思いますが、その方と取引先様との関係はそうしたものを何か超越したところにあり、人として信頼されている、というか尊敬されているんですよね。
その人が担当する仕事で問題が発生すれば取引先の皆さんが、〇〇さんのためなら!っとその解決に力を合わせて取り組まれるという場面を散々目の当たりにしてきましたし、それが会社の利益にも最終的にはつながっていました。結局、最後は人、ということなんだと思います。それはオランダであれ、フランスであれ、はたまたアメリカやカナダでも結局一緒だよな、というのは仕事をしながら常々感じるところで、これからも私自身として忘れずに大事にしていきたいことでもあります。
-プライベートについて、好きなスポーツや趣味は何ですか。
学生時代はバスケットをやっていました。さすがに社会人になってからバスケをする機会はめっきり減りましたけど、トロントはラプターズがあるので、まだ一度しか試合を観戦したことはありませんが、来シーズンは観に行く機会を増やしたいと思っています。
また、今は単身赴任で大学生以来の一人暮らしを経験中なので、めちゃくちゃな生活だった学生時代を反省して、今度こそ一人でもしっかり生活できるようになろうと努力しています。当たり前のことかもしれませんが、家事や炊事といった生活の基本的なことを、しっかりこなせるようになりたいなと思っております。なかなかレパートリーは増えませんね(笑)。あとは時間を見つけてランニングしています。最近ようやく暖かくなってきて外を走れるようになったので嬉しいですね。
-今後カナダ駐在中に挑戦したいことについて、お聞かせください。
前任地のアメリカ時代はCOVID‐19の感染拡大真只中で、結局ほとんどどこにも行けなかったので、仕事も兼ねましてカナダやアメリカの色々な場所を訪れたいと思っています。一口にカナダと言いましても地域によって街の雰囲気や、住んでる方達の考え方、生活様式も違いますので、そういったことを肌で感じて、勉強したいと思っています。
-最後になりますが、商工会会員の皆様へのメッセージをお願いいたします。
カナダへきて未だ半年ほどで、まだわからないことだらけですが、今後ともよろしくお願いいたします。