今回は、2021年7月にカナダへ赴任されたJFC International Canada Incの足立氏へお話を伺ってきました。確かな商品、行き届いたサービスを経営理念とし、世界へ日本食文化を広げるJFC International Canada Incさんは、日本食レストランやアジア系食料品店やスーパーはもちろん、メインストリームのスーパーへのビジネスも展開されカナダでの日本食普及に力をいれています。長年営業をされていた足立氏は終始軽快なトークで、様々なお話をお聞かせいただきました。パンデミック初期の食品買い占めは記憶に新しいかと思いますが、当時の影響についても語っていただきました。
-御社の事業紹介をお願いいたします。
日本食を始めとしたアジア食品の輸入もしくは現地調達をして、日本食レストランを始めアジア系グロサリーストア、メインストリームグロッサリーストアへ販売をしております。1973年にキッコーマンと現地資本との合弁会社としてJFC food Canada Inc を設立しました。その後、2001年に米国JFCの子会社になるという歴史を会社として歩んで参りました。
-御社の強みについてお聞かせ下さい。
私共の日本食卸販売事業は、世界23カ国67拠点でやっており、世界的なネット―ワークがあるということです。このネットワークを活かしたJFCグループ全体の商品調達力と世界的な販売網があるということですね。各国によって輸入ができるものとできないものがありますが、日本にあるJFCジャパンで、各国の規制に基づいた品質管理体制を把握できるというのが強みとなっております。
カナダではトロント、モントリオール、カルガリー、バンクーバーの4拠点で事業展開をしております。我々はレストランだけではなく、アジア系グロッサリー、またLoblawsやWallmartといったメインストリームグロッサリーストアともバランスよくビジネスをしているので、コロナ禍でレストランの売り上げが落ちた中、アジア系グロッサリー、メインストリームグロッサリーの売上の伸びで、コロナ禍でもほぼ売上を維持することができました。今年はコロナ以前の売上以上というのが今現在ですね。
-カナダのマーケットはいかがですか。
カナダは前任のアメリカと比べると割と若い方がレストラン経営をされているイメージがありますね。トロントは中国、韓国の方が多いですので、私共のお客様として中国系、韓国系スーパーマーケットも多くを占めております。
-今後注力されたいことは何でしょうか。
新型コロナウイルス感染拡大により、世界的にレイバー不足、サプライチェーンの混乱によるメーカーさんからの値上げ、コンテナ不足・値上がり、トラックの抗議デモなどによるカナダ国内やアメリカのトラックの値上がりなどにより、商品代自体がさらに上がって、輸送コストがあがっているというのが現状です。食品というのは単価が高くない分、もろにこれらのコストの上昇が商品価格に反映します。
今、特に力を入れていることは欠品対応です。お客様へ売るものがないと、お客様も商売ができないので、今は高くてもとりあえず商品を持ってくる、既存の商品でいかに欠品を起こさないようにするか、つまりは安定化に務めようと努力をしております。
今年中頃くらいまでこの状況が続くのではと予想しておりますので、今まであったものをきちんと持ってくるということに今は力を入れております。それが落ち着きましたら、海外へ日本食を広めたいという志のあるベンダーさん、生産者さんたちと取組みをより一層強化し、カナダや全世界へ日本食を広める活動に取り組んでいきたいと思っております。
-ここからご自身についてお伺いいたします。ご出身と今までのご経歴についてお聞かせ下さい。
出身兵庫県明石市です。道路を一つ挟んだ目の前に海があるところで育ちました。台風があった時なんかは冗談ではなく、家の壁にワカメがへばりつくといったようなところでした。大学を卒業するまで関西におりまして、卒業後の2000年にキッコーマンへ入社しました。
入社後、2006年まで福岡の九州支社へ勤務しておりました。その間、大分県へ流通するキッコーマンの大分県責任者として、営業をしておりました。2006年に東京へ転勤し、そこではイオンさんやヨーカードーさん、ダイエーさんなどといった、日本全国に広域流通しているスーパーマーケットの本部担当の営業を2012年までしておりました。
ちょうど10年前の2012年2月に、キッコーマンからJFCのビジネス研修の募集があり、そちらへ応募しました。実はその研修で一度トロントへ来たことがあるんです。我々はミシサガにJFC Canada本社オフィスがありますので、2月の寒い中、ミシサガの安宿へ1ヶ月間泊まっていたのを覚えています。
その年の7月にJFC USのニューヨーク支店に異動となり、2012年から2016年の3月までJFC New Yorkへ出向となりました。そちらでは営業をやっており、マンハッタン、ブルックリン、クイーンズの日本食レストラン、グロッサリーストアの担当に加え、商品の仕入れを担当しておりました。その後、2016年の3月から2021年7月までロサンゼルスにあるJFC本社で、今までとは全くの畑違いである物流部の責任者として、本社勤務をしておりました。我々は、インターネットでクリックして買うということではなく、フィジカルに倉庫を持ち、フィジカルに商品を抱えて倉庫従業員を雇い、トラックをもち、トラックドライバーを雇い、それをお客様のもとに直接運ぶということを商売としてやっております。
幸いなことに日本食の売り上げは右肩上がりに伸びておりますので、売り上げが伸びていくと倉庫も大きいものが必要となってきますよね。私が本社へいた2016年から2021年までは、毎週アメリカ各地へ飛んでは物件探しをし、契約を結び、冷蔵庫を建て、ラックを建てて…というような食品とはまったく関係のない拠点の整備拡張プロジェクトへずっと携わってきました。
在任中の5年間に、コロンバス、ダラス、ラスベガス、オーランド、アトランタ、ボストン、シアトル、ロサンゼルス、ハワイ、モントリオールの拡張プロジェクトを手掛けましたね。コロナ前は毎週アメリカ国内を飛び回って仕事をしており、その間、一切食品に触りませんでした。なので、今はリハビリ期間中なんです(笑)。
-トータルでアメリカへ10年近くいらっしゃったんですね。
そうですね、その間、一度出張ベースで2021年4月にトロントへ来て、家を借りたりと生活基盤を整えていました。政府指定の収容所生活も経験しました。
アメリカでは、ニューヨークとロサンゼルスでの経験ができ、よかったなと思っています。ニューヨーク在任中は、毎日マンハッタンへ行っており、そこは日本と同じように四季があり、四季ごとのイベントによって街が変わっていくというのが印象的でした。
ロサンゼルスは雨がほとんど降らず、年中太陽さんさんでエアーコンディショナーいらず、半袖短パンで年中過ごすことができます。日本食、日本食スーパーもいっぱいありますので、日本人が海外で住むには一番いいところだなと感じました。引退したらロサンゼルス最高だと思いました(笑)。常に変わるニューヨークと、ゆっくりできるロサンゼルス両極端を経験できて良かったと思いますね。
-なんとも羨ましい限りです。今までで一番印象的なプロジェクトについて、お聞かせ下さい。
LA本社の移転が一番印象に残っております。大体、他のところは既存の物件を買ったり借りたりしておりましたが、LA本社に関しましては、既存のLA倉庫の隣りにまた土地を買い、いわゆるグランドアップで、一から倉庫を建てることをしました。土壌に汚染があったら撤去しなくてはいけない、また建物を建てるためにパブリックヒアリングに行ったりなど、土地を買ってから倉庫を建て出荷するというところまで、一から全部できたということは、貴重な経験でしたね。
新型コロナウィルス感染拡大が2020年3月に本格的に始まったかと思いますが、丁度引っ越しをしたのが2020年の2月末でした。引っ越しも大変で、すごい数の商品、約10000アイテムを右から左に3日間かけて移動させ、やっと終わったなという時に、「スーパーから米が消えた!」と急に買い占めが始まり、今まで考えられなかった出荷量になりました。
当時、レストランはクローズし始めたため、レストランビジネスはなくなってきましたが、グロッサリーから、ものすごいオーダーが入りまして。引っ越ししていなかったら、対応できなかった量でした。引っ越しする前は、20万sqftの倉庫でしたが、引っ越し後は同じ20万sqftでも高さが50ftくらいある倉庫でI-5というカリフォルニアの基幹道路の真横でオペレーションをしております。
新倉庫オープン直後に、新型コロナウイルス感染拡大が始まり、もし引っ越しができてなかったらお客さんに対応できていなかったと思います。いいタイミングだったという意味でも、印象に残っております。
-お仕事を進める上で、大切にされていることについてお聞かせ下さい。
JFCは、「Quality Merchandise & Good service(確かな商品、行き届いたサービス)」を経営理念としております。我々の仕事は、日本食レストランや、グロッサリーといったフロントラインに立って日本食を広げてくれている人に対して、物資をお届けするということが使命だと思っております。そういった人たちに、先程申し上げた確かな商品をお届けするといったことが、結果的に日本食の広がりがさらに伸びていくのではと思っております。
安いからといって売れるということではなく、我々は文化を売っているという意識でやっております。商品というのは一番大切ですし、実際にそういった考えで商品テストも行い、ビジネスを行います。間違った日本食ではなく、確かなものしかお届けしません。また、法令は必ず遵守して確かな商品を持ってくるということです。いい面も悪い面もありますが、食品は一発勝負ではなく、ずっと続いていく商品ですので、安定的にお届けするということを心掛けております。
-今後、日本食と文化が更に普及するのが楽しみですね。ここで、プライベートについてお伺いいたします。趣味やお好きなスポーツは何ですか。
趣味といえるかどうか分かりませんが、毎朝走っています。
-毎朝外を走ってらっしゃるんですか?
そうですね、トロントにきて何回が萎えそうになりましたが(笑)。本当アホですよね(笑)。
大体毎朝5時半から6時くらいに走り出すのですが、一月に一度大雪の日がありましたよね?その時も実は走っていまして、前が見えなくなりました。車を運転中に前が見えなくなることはたまにありましたが、走っていて前が見えなくなるというのは初めての経験でした。まつげも眉毛も雪だらけで凍って、さすがにこれはまずいと思い、大通りにいきましたが、車もバスも立ち往生していました。
すぐに自宅に戻って倉庫に電話して、その日はさすがにクローズしました。カリフォルニアの時は短パン半袖で一年中走っていましたが、トロントへきてから$60くらいの手袋を最初は買いましたが全然暖かくなくて、-30度に耐えられるという$150くらいする手袋を結局買いました(笑)。
出張中も必ずランニングシューズを持って行くので、怪我がなければ毎日走っています。コロナ以前は一日3キロくらい走ってましたが、今は出張がなくなり時間ができるようになったので、大体5キロから10キロくらい、週末はマラソンレースへ出場したり、一時間半から二時間くらい走ってます。
-ランニングを始められたきっかけは何ですか?
キッコーマンの社内駅伝大会というのが年に一回あり、2010年に当時の上司に強制参加されられたのがきっかけです。キッコーマンは工場も日本国内数カ所あり、スポーツを盛んにやっているんですね。それまでは、タバコ吸って、お酒飲んで、徹夜で麻雀してといった典型的なサラリーマン生活を送っていましたが、いざ大会に出るとなった時にいきなり不規則な生活から走るのは良くないな…と思い、2ヵ月くらい練習することになりました。
たまたま同じ部署に、早稲田大学の駅伝部をクビになったやつがいたんですね。クビになったといっても、勉強で早稲田大学へ入り、箱根駅伝に出たいという人は、1年生から2年生にあがるときに5キロを15分以内に走らないと、クビかマネージャーかというルールがあったようです。彼はマネージャーになるのが嫌だったので、クビになったんですね。
一緒に走りましょうということになり、彼が中心になって5人で週一回練習を始めました。1ヵ月くらい経つと、タイムが伸びていくんですよ。当時営業をしていても、ラッキー、アンラッキーとどうしても自分でコントロールできないところがありましたが、そんな中、ランニングは正直で、自分でちゃんとやればタイムが伸びていくのがとても嬉しくて。
2ヵ月後、大会に出た後も継続的に走り出したら、どんどんタイムが伸びていきました。自分がやったことに対して結果がついてくるということが、社会人になって初めてでした。それから今にいたり、今でも継続して、大会に出たりということをやっております。
-継続は力なりですね。カナダ駐在中に挑戦したことについて、お聞かせ下さい。
娘たちがアイススケートをしているので、オタワのリドー運河でスケートをさせたいです。実はファミリーデーの連休を利用して家族で行ったんですよ。その前日にオタワへ出張にいっており、丁度トラックの抗議デモの時で、警察がコンボイを撤去し始める前でした。
その時は特に危険を感じなかったので大丈夫かなと思い、翌日に今度は子供達を連れて車で四時間かけて向かいました。そうしたら昨日までオープンしていたところがクローズされていて。二泊の予定でしたが、滞在期間中もずっとクローズされていたので、願いが叶いませんでした。娘たちを連れてまた行きたいですね。あとは、人並みですがオーロラを観たいですね。
-来年は行けるといいですね。最後になりますが、商工会会員の皆様へメッセージをお願いいたします。
トロントで日本食を召し上がれる方は、何らかの形で我々が扱っている商品を口にされていると思いますでの、まずは商工会会員の皆様、そのご家族へ感謝申し上げます。
欠品、値上げで皆様にご迷惑をかけており、レストランやグロッサリーストアだけでなく、その先にいる消費者の方も買い物にいかれたら、感じられていることだと思います。そういったところを早急に改善していきたいと思いますので、引き続き、よろしくお願いいたします。
-本日はお忙しい中お時間を頂きましてありがとうございます。これでインタビューを終わります。