第212回 2月学校情報日 駐在家族帯同にあたり重要なのはお子さんの教育
商工会事務局 伊東 義員

人事異動の時期となり、駐在準備、帰任準備に入っている方も多くおられる。異動する当人は、会社の中で現業の仕事の引継ぎを行い、並行して異動先の仕事の理解を進めていくことになる。仕事の面だけでなく、お子さんをカナダに帯同する場合には、カナダでの教育が非常に気になるところ。
毎月、トロント生活不安疑問質問懇談会という生活情報説明会をオンラインで開催している。駐在・留学、家族帯同を予定されている家族が参加されることに加え、こちらに永住を予定されている家庭の方の参加も多い。教育、医療制度、生活情報、治安などを商工会が実施しているセミナー資料からポイントを網羅した内容になっており、これまでは医療制度への関心が高かったが、最近は教育に関する関心が高くなっている気がする。
駐在・留学される方が若い方になってきており、そのご家族には学齢期のお子さんがいるケースが増えているようだ。2人、3人のお子さんを帯同するケースも増えており、教育制度への関心、質問が多くなっている。日本の海外子女教育振興財団へもトロントへの駐在が決まった家族から、オンタリオ州の教育制度や環境についての問い合わせが増えているようで、先日も財団から問い合わせがあり、カナダに初めて駐在員を送る会社の人事部の方と3者オンライン会議を行い、教育制度や生活環境のお話しをさせていただいた。
先月の生活懇談会にも財団の教育アドバイザーの方が参加され、保育環境や障害者の方への教育体制について質問された。また、トロント教育委員会で教員をされていたという方も参加され、間違っているとの指摘はなく、分かりやすかったとのお言葉をいただいたので少し安心。オンタリオ州の教育制度も毎年のように変更されており、情報をアップデートするのは大変ではあるが、日本には知られていないことも多いので、これからも正しい教育情報の発信に心がけたい。
2月駐在内示日 自分の駐在を思い出すと
この春は、会員の異動が多いような気がする。標準的な駐在期間を3年から5年と考えると、今回異動となる方たちは、コロナ・パンデミックになった直後からパンデミックのピークに赴任された方々ではないだろうか。本来のカナダの生活をあまり経験できなかったかもしれない。
自分の駐在の時を思い出してみた。自分が駐在内示を受けたのは、24年前。夏休みをはさみ、椎間板ヘルニアで2週間以上入院の後、職場復帰した直後だったと記憶している。ただ、その海外駐在内示から実際の赴任まで半年以上あったことから、十分な準備ができた。国内営業管理で経理財務を10年以上担当していたが、駐在に向け、直近では本社財務課外為係に異動し海外駐在の準備を進めていたので、決まったかという感じだった。
もちろん赴任先はそれまでわからなかったがカナダと知らされ、安心したのを覚えている。当時、妻も働いており、子どもも小学校に上がった娘と3歳の息子の二人。海外に行くことは希望していたので驚きはなく、トレジャラーとして派遣されるので仕事への不安はなかったが、心配だったのは言語(英語)。
国内営業管理に10年いたことから英語を使うことはなく、大学卒業以来の英語をリフレッシュすることになった。会社が週一回、本社近隣のマンツーマン英会話教室に通う手配をしてくれ、妻、子どもにも自宅近くの英語教室に通わせてくれたので、それでなんとか挨拶程度はできるようになった。
実は海外駐在の打診は入社2年目にも受けていた。入社した時の配属が、当時社運を賭けていたビデオディスク事業部。後にレーザーディスクとして売り出した商品の企画、マーケティングを行う事業企画部門で、技術研究所、製品企画、商品企画、広報、事業企画、マーケティング、販売、販売管理、法務(著作権)など、全社関連部門から抜擢された人材が集められた部署。
新入社員として配属された自分は、特に何ができるわけでもなく、先輩方と、事業の先導を取っていた社長が他の電機業界各社トップにレーザーディスク連合に加わってもらうべく設定された高級料亭での会食・プレゼンテーションのため、その場に機材を持ち込みセットアップするなどをお手伝いしていた。当時の社長に同行し、赤坂、新橋、京都、名古屋といった場所に行ったことを思い出す。
この2年間とその後のレーザーディスクとビクター陣営のVHDとのビデオディスク市場主導権争いは、『パイオニア1VS13の賭け』という本になっており、その最中に自分もいたことになる。
入社2年目が終わろうとするとき、国内販売が決定し、ロスアンジェルスにも米国市場向けの子会社・映像ソフト版権会社・特許管理専門会社を設立することとなり、事業部は解体することに。その折、上司からロスアンジェルスの新会社に行かないかと打診を受けた。海外にはいずれと思っていたが、まだ社会人2年目の新人には踏ん切りがつかず、結婚して1年目であったこともあり、国内営業に留まることを選択した。今から思えば、あの時、ロスアンジェルス行きを選択していたら、違った人生になっていたと思うが、今はよい選択だったと思う(ことにしている)。