リレー随筆

「キッズ・アー・オールライト」
Ramen Marketing Corp. DBA “ramen RAIJIN” 
吉田 洋史

スケーター

ハーフパイプにドロップインすると、一瞬で斜面をすべりおりる。1.5メートルほどの高さでも上に立つと、断崖絶壁のふちに立ち、そこに自ら身体を投じるような感覚におちいる。反対側の斜面を一気に上がり、最高潮に達した瞬間、重力から解き放たれ、現実やしがらみからも解き放たれて、すべての事から自由になったような錯覚を覚える。一瞬の自由もつかの間、今度は後ろ向きでまた斜面をすべりおりる。

脳内イメージでは、焦りなど微塵も感じさせない完璧なフォームでポーズをキメているのだが、スマホで撮ってもらった動画を見ると、四十も間近のオッサンが、へっぴり腰でガクガクと足を震わせながら、お世辞にも綺麗とは言えないフォームで映っているのだ。スケボーの話である。

コロナ以降、やりたい事をやりたくて、怪我の恐れなどの理由で手をつけられなかったスケボーをついにはじめた。週末は余程のことがない限り、家族でスケボーパークを訪れる。車で15分圏内にいくつもパークがあるのも、カナダならではの環境だ。そこは、人種や年齢、所属にとらわれない老若男女でいつもあふれかえっている。

スケーター

三十ばかり歳の離れたキッズたちから、ティーンネイジャーやおじさんスケーターまで、初心者の僕にアドバイスをくれ、トリックをメイクすると、拍手や声援をおくってくれる。出来ないことを馬鹿にする者はいないし、そういう行為がダサい文化であることを、肌をもって感じることができる。

社会で必要性が叫ばれる「多様性のあるコミュニティ」がそこには確かに存在し、スケボーが好き、という一点のみで僕たちは世代やバックグラウンドを超えた繋がりを感じることができる。

東京オリンピック男子ストリートで金メダルをとった堀米優斗と、「ゴン攻め」、「ヤベえ」、「ビッタビタにはめてきましたね」といった砕けた解説で話題になった瀬尻稜が、以前インタビューで好きな選手を聞かれた際、声をそろえてナイジャ・ヒューストンと答え、さらに「どこの国の選手ですか?」とインタビュアーに聞かれると、二人は顔を見合わせて、「知りません」と答えたそうだ。

スケートパーク

この逸話をはじめて聞いた時、僕はナイジャが日本人のクォーターである事や、東京オリンピック女子パークで銅メダルをとった若干13歳のスカイブラウンが日本人のハーフである事を理由に注目していたことを恥じた。人は、時に国を背負う必要性にせまられることもあるのかもしれないが、ただ好きなことをトコトンやり続けた結果として、世界の頂点を舞台に活躍している彼らに、国の尊厳やメダルが何個というような期待を押しつけるのは、はた迷惑で野暮ったいことなのだと気がついたのだ。

ママさんスケーターが、子供の前でマリファナを吸いながらすべっている光景にギョッとしたこともあるのだが、そのワンシーンを切り取って「彼女が良き母ではない」と決めつけることは出来ない。だがご存知のように、世間にはそういった言説があふれている。そして、ともすれば、僕も堀米優斗や瀬尻稜の側ではなく、一連のオリンピックのドタバタ劇を繰り広げたオトナの側にいるのかもしれない、と肝に銘じておく必要性を強く感じている。