プロフェッショナルラクロスプレーヤー、中村 弘一さんにお話を伺ってきました。中村さんは大学時代にラクロスに出会い、ラクロス部を結成。その後、留学のチャンスが訪れオーストラリア、アメリカで活躍の場を広げてきました。現在はNational Lacrosse League(以下NLL)傘下のマイナーリーグに所属し、トッププロの仲間入りと、2028年ロサンゼルスでラクロスオリンピック金メダル獲得に向けて、本場カナダで活躍の場を広げています。
-ご職業の紹介をお願いします。
ラクロスを仕事としており、今は日本の企業様からスポンサーをいただきながら活動しています。現在は北米を拠点に、北米唯一のプロリーグにチャレンジをしているところです。プロリーグで契約し、活躍することを当面の僕の目標としています。また、2028年のオリンピックで金メダルを取ることに向けて、世界最強の北米エリアでチャレンジをしています。
-ラクロス選手になろうと思ったきっかけは?
文部科学省の所管である「トビタテ留学ジャパン」というプログラムがあり、2016年の僕が大学4年生の時に採択をしていただきました。資金サポートをいただきながら2年間、ラクロス留学をしていました。
トビタテではジャズでの留学やAIの研究留学など、色々な分野が分かれていますが、僕はラクロスで留学するために奨学金に応募しました。そこで資金サポートを受けながらラクロスをさせてもらえる環境が素晴らしいと思い、この生活を続けるには、何をすればいいのかと考えたところ、スポンサーを集めることが必要だと思いました。
そこからスポンサー獲得のための営業活動等を積極的に行い、結果的にスポンサーをしていただけることが決まりました。その後渡米し、北米のトッププロリーグにチャレンジしていることが今の職業に至ったきっかけです。
–ラクロスはいつ頃から始めたのですか?
18歳の大学入学時にラクロスに興味を持ち、YouTubeでラクロスを知り、大学にはラクロス部がなかったので、「じゃあラクロス部を作ろう、ラクロスやるぞっ!」と言って(笑)。もとは女子大の大学で男子学生が少ない中、声をかけて部員を募りました。
小学校ではソフトボール、中学と高校ではバスケットボール、スポーツはずっと続けてきましたが、YouTubeがきっかけで人生が変わりました。十年近いキャリアを築いて、自信を持っているところです。
-ラクロス選手としての今までの経歴についてお聞かせ下さい。
福岡の大学に進学して部活を立ち上げ、トビタテ奨学金を受けながら半年間オーストラリアへ留学し、南オーストラリア州の一部リーグで優勝しました。
その後、MVPや年間最優秀選手に選ばれ、アメリカの短期大学に進学しました。ラクロスの強豪校で、全米優勝経験がある学校でした。在学中も2年連続で優勝することができました。個人ランキングでも自分のポジションで全米6位まで入る成績を収めたことが自信に繋がりました。
そしてプロへの挑戦を始めましたが、当時のレベルではトライアウトに合格するのが難しく、奨学金も終るタイミングだったため経済的にも苦しくて、一度日本に戻りました。帰国し、国内リーグで優勝するも、やはり日本のレベルが世界と比べて低いことを感じ、スポンサーを獲得して再びアメリカ・カナダに戻ることを決意しました。
渡米が開始できたのはコロナ期でしたが、シニアと呼ばれる社会人のリーグと、シニアよりも若いジュニアというリーグに所属できることになりました。
ジュニアリーグでは全米決勝戦まで勝ち進み、準優勝を果たしました。アメリカの大会を終えた後、トロントに本拠地を置くToronto Rockというプロチームと契約することができました。Toronto Rockは野球でいうと読売巨人軍のような存在であり、毎年優勝争いにも参加しています。
数十年前に一人の日本人が同様の形で契約したという話を聞いたことがありますが、プロ契約はアジア人としては非常に稀な快挙でした。しかし、ロースターにはいることはできなかったため、世界トップの350人だけがプレーできるプロリーグで活躍することを目指し、現在も挑戦を続けています。
-海外でラクロスで活躍されている日本人というのはあまり耳にしませんが、やはり少ないですか?
オーストラリアに滞在していた時は、私だけでした。現在もカナダには私と、バンクーバーに一人います。ただ、最近は次の世代の子たちが年に一、二人ぐらい、「こっちで一緒にラクロスをしたい」という連絡がきます。
-日本と海外でプレーされて、どんなところに 違いを感じますか?
日本のラクロスと僕が現在カナダでプレーしているラクロスはプレーヤーの人数やプレーの形態も異なります。アメリカや日本で一般的なラクロスの形態は10人制の「フィルードラクロス」ですが、カナダは6人制でコートもゴールも小さい「BOXラクロス」と呼ばれるラクロスが主流です。
10人制では、ゴールが大きく、フィールドもサッカーのコートぐらい広いスペースを利用してプレーされます。この10人制のスタイルは、特に広いフィールドでの戦術や戦略が重要となります。
カナダのBOXラクロスでは、ゴールキーパーがゴールの間にほとんど隙間がないほど大きく、選手同士の非常に激しいタックルもあります。これに加えて、小さいゴールの隙間に精密なシュートを打つ技術が求められます。試合中には激しい接触があり、フィジカルなプレーが日本と比べて圧倒的に異なります。
また、オリンピックでは、新たな6人制のラクロスが導入されます。この形態では、ゴールのサイズは1m 80cm、6人という少人数で試合が行われます。これに対応するためには、シュートの精度やフィジカルの強さが重要とされ、特に6人制のゲームでの実力が求められます。
オリンピックの正式種目になることが決まり、その形態が6人制となったことから、プレイヤーとしてはこれに対応するために努力を重ねています。オリンピックに出場するためには、6人制でのプレーが非常に重要となり、そのためにシュートの技術やフィジカルの向上に全力を注いでいます。
カナダのプロリーグであるNLLのコートサイズは、アイスホッケーのリンクに芝を引いたもので、これがオリンピックでの競技形態に最も近いスタイルになっています。
-トレーニングや一日のルーティンは?
基本的な一日の流れは、朝5時や6時に起床し、日本側の関係者とミーティングを行います。その後、午前9時~11時までシュートの練習を行い、筋トレを行います。その後は自宅で仮眠をとり、夕方からは実践形式の練習会に参加し、帰宅して休息します。
こうした生活を数年間続けていましたが、最近になって怪我を負い、現在はリハビリ中です。
-過去にも大きなケガなどありましたか?
いや、十年間あまりしたことはありませんでしたね。とにかくもうやり抜くぞ!みたいなパッションでやっていましたが、今回の鎖骨の粉砕骨折と、前々回はハムストリングスの断裂を3回ほど経験しました。
どうやらやりすぎるのはよくないぞということで、最近はただ闇雲に練習するのではなく、いかに短時間で効率的にできるか、また最近はテクノロジーの力をどれだけ活用して、自分の選手パフォーマンスを上げるかという部分に注力しています。エンジニアの友人たちに分析を依頼したりと、テクノロジーを積極的に活用しています。
-ラクロスの技術で一番重要だと思われることは?
僕のように点を取るポジションだと、シュートの精度とフィジカルが重要です。精度の高いシュートや精度の高いチャンス提供が技術的に求められます。
身体が小さいため、相手に比べてどうやって体力的に勝ち抜くか、そして身体感覚の強化など、フィジカル面でも底上げが必要です。得点やアシストなどのポイントを積むためには、まずはこの技術的な要素が基本であり、それに伴うフィジカル面も重要です。
-防具は何をつけていますか?
ヘルメット、グローブ、肘、二の腕、お腹など、上半身は全て防具をつけていますが、下半身は男性の急所を守るキンカップのみですね。ゴールキーパーはまた違い、プラスで膝下にパットを付けています。
-今までで一番印象に残っていることは
日本の大学でもトップを目指して挑戦していましたが、チームメイトはスポーツ未経験者が多かったため、最初は強さに欠け、四年間であまり勝利を収めることができませんでした。その直後に、オーストラリアの大会で優勝しました。その瞬間は何よりも感動的で心動かされる瞬間でした。
–今後の目標について
まず、2028年7月14日から始まるロサンゼルスオリンピックにおいて、日本代表として出場し、日本を金メダルに導くために、キャプテンのようなリーダーシップを発揮したいというのが今の目標です。
同時に、この過程で現在の世界トッププロチームに所属し、トップリーグでの個人ランキングを90位以内に入ることが短期的な目標です。
-最後に日系コミュニティの皆さんにメッセージをお 願いします。
カナダの国技として認識されているラクロスですが、日本人として活動している者は私以外にはほとんどいない状況です。私を通じてカナダの国技に触れ、皆さんやお子さんの将来の可能性や新たな刺激になることを期待しています。
ラクロスの体験会や観戦などを通じて、私たちから情報を発信できたらと思っています。将来的には、私が挑戦する試合がトロントで行われる際にぜひ観戦しに来ていただけると嬉しいです。 また、ラクロスは先住民発祥と言われるスポーツなので、その文化や歴史を通じてカナダの背景や社会を紹介できればと考えています。どうか応援をよろしくお願いします。