「こんにちは!」新代表者紹介インタビュー

MUFG Bank, Ltd., Canada Branch
Managing Director 平井 琢也

Managing Director of MUFG

今回はMUFG Bank, Ltd., Canada Branch 平井琢也氏へお話を伺ってまいりました。在カナダ日系企業および現地カナダ企業に向けたフルバンキングサービスを提供している同社。1954年に東京銀行トロント出張所として設立され、2024年に70周年を迎えました。現在は約190名の従業員を抱え、日系・非日系の2ライン体制で運営され、融資や為替に加え、シンジケートローンやプロジェクトファイナンスなど、多様な金融ニーズに対応されています。2020年10月にバンクーバーを経て、トロントへ着任された平井氏。幼少期からピアノに親しみ、一時は音大進学を目指していたという経歴をお持ちです。今回は、前任地でのご経験や、音楽、趣味のお話なども伺いました。

御行の事業内容の紹介をお願いいたします。

三菱UFJ銀行のカナダにおける唯一の拠点として、在カナダの日系企業、現地カナダ企業へのフルバンキングサービスを提供しております。融資、預金、決済、為替といったプレーンなプロダクトに加え、シンジケートローン、証券化、プロジェクトファイナンスといった仕組金融、NY支店とも連携の上、デリバティブ取引も提供しております。

支店長は2018年よりカナダ人のCraig Gardner氏がカナダ企業の顧客部門ヘッドを兼務する形で担い、当方は日系企業の顧客部門ヘッドとして当地日系ビジネスを担当する2ライン体制です。カナダ支店の起源は、1954年に東京銀行トロント出張所が設立され、昨年ちょうど70周年を迎えました。従業員数は約190名、本邦からの派遣は5名です。設立当時は、日系企業に対するサポートがもともとの目的でしたが、時代が流れ、現地のカナダ企業との取引が増えていき、今に至ります。

御行の強みについてお聞かせください。

メガバンクの一角として、本邦で最大規模の顧客基盤を有する点がまず一つの大きな強みです。海外においても50か国以上、16万人以上の従業員を抱えるなどグローバルに展開する金融グループである点も大きな強みであると思っています。特に海外事業においては、2008年のリーマンショック以降、弊行は集中的に海外事業に資源を投下しまして、非日系企業との取引を拡大したり、アジアでの銀行買収を加速して、結果として現在の弊行事業ポートフォーリオは昔と比較し大きく様変わりしてます。

もちろん日系企業部門が一番の柱であることは変わりませんが、非日系企業部門や海外商業銀行部門(アジアでの投資先)は、現在では伝統的な日系企業部門に並ぶビジネスの柱に成長しています。2024/12月残高の数値によると、国内貸出金は75兆円、海外貸出金は48兆円となっております。

今後特に力を入れていきたいこと、今後の展望や目標についてお聞かせください。

特に代わり映えしませんが、「顧客と経営課題を共有し、それを金融機関としてサポートしていく」という従前からの活動を引き続き愚直にやっていくことです。これは日本の銀行の特徴だと思っており、非日系や現地企業との取引において、金融機関はお客様へのファイナンシャルプロバイダーというような位置づけとなることが多い一方、日本の銀行は事業を一緒にやっていくことに軸足を置いています。

古臭いと言えば古臭いのですが、特色であり、日本の銀行の良さでもありますので、引き続き継続していきたいと思っております。また、足元のエネルギートランジッション、車の電動化、トランプ関税といった先の見えない世の中だからこそ、金融機関が提供できることは多いと考えています。顧客への情報提供やファイナンス面でのサポート含め、「世界が進むチカラになる。」をパーパスに顧客への提供価値を高めていきたいと考えています。

平井さんご自身についてですが、ご出身、今までのご経歴などお聞かせいただけまか。

出身は愛知県西春日井郡(現:清須市)で生まれ育ちました。地元の大学へ入学し、23歳まで愛知におり、男三兄弟の長男として育ちました。中高生の頃はとにかく食べ盛りで、毎日ご飯ばかり食べていた記憶があります。母の顔を見るたびに「今日のご飯なに?」と聞いていたので、家ではお米を大量に炊いていたようです(笑)。

幼少期は3歳から18歳までピアノを習っていました。母親曰く保育園に入れなかったようで、人と触れ合うために近くのオルガン教室に入れたことがきっかけで、結果18歳まで続けることになりました。

他のご兄弟も習っていましたか?

習っていましたが、中学校ぐらいやめてしまいました。小さい頃は練習はあまり好きではなく、録音したものを流して引いているふりをしていたようです(笑)。それでもだんだん中学生くらいから好きになり、 作曲家になりたいと無謀な夢を持つようになり、高校一年生から三年生まで、音大に入るための専門学校に通いました。真面目に音楽の勉強をしましたが、高三の夏に夢を諦め、普通の大学へ行くことを決めました。

クラシック音楽はポップミュージックとは違い、基本的に過去の名作を演奏する世界です。録音技術が発達してからすでに70年以上が経ち、その間に数えきれないほど素晴らしい演奏が残されています。つまり、新しい演奏家が登場しても、比較対象は歴史に名を残す偉人たちとなり、非常に厳しい世界です。

両親は応援してくれていましたが、それでも自分の将来を見据え、大きな決断が必要でした。というのも、音大を卒業しても、その多くが演奏だけで生計を立てるのは難しいという現実があるからです。今思えば、人生で一番いい決断だったと思っています。

その後、20歳のときにアメリカへ1年間、語学留学に行きました。実は、妻と出会ったのもこのときです。偶然、同じ大学から来ていたことがわかり、そこから縁がつながって、今に至ります。人生、本当に何があるか分かりませんね(笑)。

キャリアといたしましては、2004年に入行し、最初は愛知県小牧支店に配属となった後、2007年から東京の本部で外国金融機関のクレジットアナリストを三年、2010年からロンドン支店で非日系企業を扱う部署へ配属となりました。その後2017年に東京の本部に戻り、そこでストラクチャードファイナンスという仕組み的な金融のプロダクトを扱う部署で日系のお客様の海外のビジネス、プロジェクトを担当していました。 そして2020年10月にバンクーバーを経てトロントへ着任しました。

今まで一番印象に残っているプロジェクトについてお聞かせください。

一つだけに決めるのは難しいので、いくつかあげさせてください。2008年、リーマンショックが発生した際、当時いた外国金融機関を担当する部署でクレジットアナリストということで稟議書作成やお客様の信用分析業務を行っていました。従前はマネーセンターバンクと言われる大手金融機関の信用度は非常に高く、社内の稟議書もペラペラでよかったので、「最高の部署にきた!」と着任時は喜んでましたが、すぐにリーマンショックが起こり、銀行界全体で信用不安が発生しました。その後、稟議書が直ぐにペラペラでなくなったのはご想像の通りです (笑)。

その後のロンドン支店では2010年代初頭に「欧州債務危機」が発生しました。当時は欧州地域全域の現地企業を担当するフロント部署におりまして、「ロンドン勤務だ!」と着任時は喜んでおりましたが、その後すぐに従前はあまり意識しなくてよかった「国」そのもののリスクが顕在化することになり、日々頭を悩ませることになりました。当時、欧州の一部の国では信用不安が発生し、ある国では国が債権者に約束した制度を後出しで反故にするという先進国では前代未聞の事件があり大騒ぎでした。

その後戻った東京本部では、日系企業の海外事業やプロジェクトへのファイナンスを担当してました。珍しく安定した環境で仕事できると思いきや、途中からやはり従来型のプロダクトだけではもうダメだ、新しい領域に挑戦だ!ということで駆り出され、当時、本邦で黎明期だったファンドファイナンスやデジタルアセットへのファイナンスに対し「ああでもない、こうでもない」と毎日夜遅くまで試行錯誤したのは、良い思い出です。

カナダ支店では、バンクーバーオフィスの閉鎖等もあったものの、比較的安定して過ごしておりましたが、やはりここへきてトランプ関税といった難問が発生しました。カナダという国にとって、これまで経済における勝利の方程式は「巨大なマーケットである米国といかに上手く付き合っていくか」でしたが、この関係が崩れかけていますので、これは非常に難しい問題だと考えています。

お仕事を進める上で大切にされて いることについてお聞かせください。

困難なことでも楽しんでやることです。仕事は面白いことばかりではないですが、人生の長い時間を仕事に費やすのであれば、「楽しい」と思いながらやった方がよいですので、どんな仕事でも常に楽しんでやるのを心がけています。

もう一つはDo the right thing、当たり前のことですが一番の判断軸にしています。世の中綺麗ごとばかりではないですし、サラリーマンであれば「目立つ案件のみやって面倒なことは触らない」など、うまく立ち回った方が賢いということはわかっているのですが、不器用な性格でして(笑)、それができません。なので、いつもシンプルに考えるようにして「正しいことを愚直にやる」のを大切にしています。その結果、これまで嫌な思いもしましたし、損な性格かもしれませんが、まあこれも自分の生き方かなと割り切ってます。

お好きなスポーツや趣味は何ですか。

割られた車の窓

趣味はロードトリップです。バンクーバー在籍時は、バンクーバーからサンフランシスコ、LA、ラスベガス経由でグランドキャニオンまでロードトリップしました。往復で8000㎞、2週間くらい走り、一日800㎞走るだけの日なんかもありましたね。またバンクーバーからバンフ、ジャスパー、エドモントン、カルガリー経緯でロードトリップもしました。こちらは往復4000㎞でしたね。トロントに来てからは、昨年にトロントからモントリオール経由で、NY、ワシントンDCまでロードトリップしました。

すごいですね!ハプニングなどもありましたか?

サンフランシスコで車をモールに停めていたところ、窓ガラスを割られてしまいました。ちょうどバンクーバーへの帰り道だったのですが、あまりにも被害が多いらしく、近くのガラス屋さんに相談したところ、翌日には修理してもらえました。特殊なガラスだったので心配でしたが、2件目で当日に対応してもらえてひと安心。あまりにガラスが割られる件数が多いのか、逆にそれで商売が成り立っているようでした。

他にも、タイヤがパンクしてレッカーされたこともありますが、「これは男のロマンだ」と勝手に言っています(笑)。家族にはちょっと呆れられていますが、今となってはいい思い出ですね。

他の趣味として料理ですね。妻が昨年の冬に一時帰国した際、当方と子供二人の時期がありましたので、毎日料理をしていました。子供達からは「肉が少ない」と文句を言われていましたが、筑前煮、ロールキャベツ、茶碗蒸し、八宝菜等々と自分の食べたいものを自由に作る時間が最高のリラックスになっていました。

Japanese food

あとは音楽です。幼少期から18歳までピアノをやってましたので、今でもクラシックはよく聞きます。とはいえ、詳しいわけでは全然なく、色々な作曲家の曲を多読ならぬ多聴する形です。

ピアノは弾いていますか?

全然弾いてませんね。海外駐在が多いので、持ち運ぶことや置き場所を考えるとなかなか買えず、退職後の楽しみにしています。

カナダ駐在中に挑戦したいことは何ですか。

カナダの西と東に駐在してますので、東西のメインどころへは殆ど行けたと思ってます。が、実はまだトロント市内はほとんど行けていませんので、駐在終了時までにはキチンとコンプリートする予定です。

会員の皆様へメッセージお願いいたします。

前任の久木原と異なり、当方はゴルフを殆どしない為、商工会での存在感はほぼゼロに等しく恐縮です。むしろ部下の堀池がいつも皆様にお世話になっております。ただ、お酒は大好きですので、商工会主催の懇親会等に積極的に参加しようと思っておりますので、今後もより多くの皆様にご挨拶させて頂ければ幸いです。引き続きよろしくお願い申し上げます。

本日はお忙しい中、ありがとうございます。これでインタビューを終わります。