「こんにちは!」新代表者紹介インタビュー

Hitachi Construction Truck Manufacturing Ltd.
CEO 岸田 郁夫

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今回はHitachi Construction Truck Manufacturing Ltd. 岸田郁夫氏にお話を伺って参りました。トロントから西へ約90kmのGuelphに位置し、設立1931年と百年近い歴史がある同社。ダンプトラックの生産、油圧機器の再生工場の運営、ダンプトラックのサービス部品事業に現在取り組んでいらっしゃいます。また、同社は日立建機㈱の100%子会社であり、John DeereとのJVを2022年2月に解消したため、今現在は、北米唯一の工場となっています。前任地のアメリカでのご経験をはじめ、インドでのプロジェクト等のお話をお聞かせいただきました。岸田氏は2024年4月にカナダに着任され、今期理事を務めていただいております。

御社の事業紹介をお願いいたします。

弊社はマイニングダンプトラックの製造を中心に油圧機器の再生事業とサービスパーツ事業を行っており、設立1931年と百年近く経つ歴史ある会社です。しかし、その歴史は苦難の連続で、幾度の売却を重ね、1998年から日立建機の資本参加を受け、2004年に今のHitachi Construction Truck Manufacturing Ltd.へ改名をし、20年が経過しました。

マイニングトラック業界、特にマイニング業界は非常に不安定な性質を持っています。日立建機では油圧ショベルという大型ショベルを製造しており、通常、ショベル1台に対して5~6台のダンプトラックが必要となります。マイニングの現場では、ショベルが鉱山の深い部分で資源を掘り出し、それをダンプトラックに積み込み、外に運び出すという作業が繰り返されます。

この業界の特性として、景気の影響を強く受ける点があります。景気が悪化すると、鉱石の採掘量が減り、それに伴ってダンプトラックの需要も低下します。また、資源が市場に過剰に供給されると価格が下がるため、採掘量を調整することもよくあります。2017年からトラック生産を中止しておりましたが、マイニングトラックの生産再開に向けて、2024年4月にカナダへ着任をいたしました。来年度生産に向けて、現在調整中です。

また、本年度から再生工場の事業を開始しました。弊社ではトラックだけでなく、油圧機器の部品全般の再生も取り扱っています。建設機械は油圧機器で動くため、ポンプ、モーター、トランスミッションなど、いわゆる油圧コンポーネントの再生を行う工場が必要でした。しかし、これまで北中南米にはこうした工場が存在していなかったため、弊社が新たに設立することとなり、現在少しずつ稼働を始めています。

今後は、ダンプトラックの生産、再生工場の運営、ダンプトラックのサービス部品の提供の三本柱を中心に事業を展開していく予定です。

再生工場は具体的にどのようなことをされるのですか。

例えば、自動車に置き換えて考えると分かりやすいです。10年乗っている車のバンパーをぶつけてしまった場合、新品のバンパーを購入すると3000ドルかかるとします。その際、多くの方は費用を抑えるために中古品を探すのではないでしょうか。弊社のような企業では、こうした部品を再生して提供しています。

再生品は、機能面では新品と同じですが、新品価格からかなり割引された価格設定で販売されます。保証期間は新品よりやや短い場合がありますが、元々のコンポーネントの金額が高いマイニング業界では、新品と再生品のこの価格差を取り扱えるか否かが、ビジネスにおいて非常に重要となります。

マイニング業界は24時間体制で稼働しており、機械を止めることができません。そのため、故障した際にすぐ交換できるスペアパーツとして、再生部品は意外に需要があります。新品の部品は注文から納品までに時間がかかるため、再生部品がなければ業務が成り立たない場合もあります。

再生品の取り扱いには一定のルールがあります。壊れた部品(コア)を回収し、それを弊社が買い取る代わりに再生品を低価格で提供する仕組みです。コアは一見使えないように見えても、内部のシールやシリンダーなど特定の部分が故障しているだけの場合がほとんどです。それらを新品に交換し、丁寧にリファインすることで、部品は再び使用可能になります。この技術が弊社の強みです。

さらに、マイニング業界では機械が一定のサイクルで稼働しているため、お客様のトラックの台数や使用期間に基づき、部品交換のタイミングを事前に予測しお知らせすることができます。現在、こうした仕組みを積極的に進めています。

今後特に力をいれていきたいことについてお聞かせ下さい。

まずは北米でのダンプトラックの製造再開を機にしっかりとした製造体制を整えることですね。更に今年度より本格的に始まった油圧部品の再生体制も整えて行くことです。目標としては早期に弊社も含め、アメリカ販売会社と共に、マーケットインの製品を市場投入し、高シェアを獲得し、アメリカ大陸に確固たる地位を築くことです。

ご出身から今までのご経歴についてお聞かせ下さい。

出身は茨城県土浦市です。大学まで実家から通い、日立建機土浦工場に配属になりましたので、会社も実家から通い、結婚まで実家におりました。土浦工場では資材部(当時)に配属になり、調達をしておりました。1998年から当時弊社と合弁関係にあったDeere-Hitachi(ノースカロライナ州カーナーズビル市)に油圧ショベルの本体生産の立ち上げ要員として2003年まで5年間赴任をしておりました。

その後はまた土浦工場の調達センター(当時)に戻り、従事しておりました。土浦がメインのマザー工場で、そこを中心として分工場として分かれています。マイニングのダンプは現在茨城県ひたちなか市で製造しておりますが、開発設計などは土浦工場にあります。茨城5工場といって、5個の工場がありますので、メインは茨城ですね。

その後機会があり、再度同じDeere-Hitachiに2018年から副社長というポジションで戻りました。皆さん、マネージメントへの信頼も厚く、また長く勤めている方が多いので、快く受け入れていただき、居心地もよかったですね。

しかし、残念なことに、この長年勤めた合弁会社が2022年2月に34年間の合弁事業にピリオドを打つことになり、4年間の赴任を終え、再度、土浦工場に戻りました。考えてみれば、この合弁会社で初号機を立上げ、最終号機まで立ち合えたことは私にとっては非常に感慨深いものとなりました。

Deere-Hitachi
アメリカJV混合生産機

Deere-Hitachiとのジョイントベンチャーで面白かったところは、通常その会社名のブランドで製造しますが、我々はJohn Deere、Hitachiそれぞれ両ブランドで、色違いの同じ機種を同じラインで製造しておりました。DeereでもなくHitachiでもないDeere-Hitachi独自の文化があり、自分達でそれぞれのいいところを取り入れて選別していたので、とても良かったですね。

戻ってからの部署は以前とは違う、生産管理部に所属し、2年間従事したのち、2024年4月よりこちらのHitachi Construction Truck Manufacturing Ltdに社長として赴任して参りました。今までの私の会社人生は茨城県土浦市とこの北米の地のみとなります。

今までで一番印象に残っているプロジェクトについてお聞かせ下さい。

色々と経験をしてきた中、訪れた国で多分一番印象的なのはインドです。2013年から2017年の5年間で15回訪問したインドについて、様々な印象が残っています。インドは活気に満ちた国で、弊社の合弁会社があるジャムシェドプール工場やカラグプール工場はウェストベンガルに位置していました。

この地域には、昭和初期を思わせる懐かしい雰囲気がある一方で、バンガロール(現ベンガルール)のような近代的な都市や、ムンバイのような多様性を感じる街も存在しました。ムンバイにある世界最大のスラム街では、各家に番地があり郵便物が届くという整然とした一面を知り、大変驚いた記憶があります。

弊社のジャムシェドプール工場では、工場内がきちんと整理整頓され、受付には花が飾られるなど清潔感がありました。しかし、一歩外へ出ると、クラクションが鳴り響き、放し飼いの牛や水牛が道路を歩く光景が広がっていました。特にインドの暑さには驚きました。4月から6月の夏は高温多湿で、日中は40℃を超えることも珍しくありません。

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インド工場内 
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インド工場の外

インド人の勤勉さも印象的でした。残業を厭わず、学ぶ意欲が非常に高く、A4用紙一杯に質問を書き込んで、朝から一人ずつ私の部屋を訪ねてきました。当時、弊社は全世界からの調達を行っていたため、多くの知識や情報を求めていたのだと思います。

カラグプール工場はジャムシェドプール以上に田舎にあり、タタナガール駅という駅を経由して訪問しました。この駅のプラットホームは当時、世界一長いプラットホームとして知られており、案内表示には英語、ヒンディー語、そしてベンガル地方語の3言語が使われていたのが印象に残っています。

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カラグプール駅の電車

当時は、全世界で同じ原価低減の手法を入れ、原価低減を進めるというプロジェクトに携わっており、進捗度合が進んでないところは他工場のいいところや、日本からの情報のインプットなどといった、いわゆる各拠点の橋渡しをしていました。社長プロジェクトでしたので、最終的に社長に報告をしておりました。非常に面白かったですね。

こちらのプロジェクトで他の国にも行かれましたか?

インドネシアや中国、オランダ、アメリカをはじめ、カナダにも2014年に来ました。

お仕事を進める上で大切にされていることについてお聞かせ下さい。

常々言っているのは、やはり健康第一(体も精神も)それがあっての会社生活だと思っております。またコミュニケーションを密に取るため、マネジメントチームとの情報交換を月曜日の朝30分、と言っても30分で終わることはありませんが(笑)、駐在員の方とは毎週金曜日に2時間程、報告会をしています。

また、漫然と決められたことを決められた通りすることが正とは限らないという観点から、常に常識を疑えとも言っております。何の為の業務かしっかりと理解をして、能動的に仕事に取り組んでいけるよう働きかけるように心がけています。

お好きなスポーツや趣味は何ですか?

趣味は野球とゴルフです。そして、趣味と言えるか分かりませんが、筋トレとランニングも日課として取り入れています。ただ、筋トレはどちらかというと義務感でやっている部分が大きいです(笑)。普段は車通勤で、一日に2000歩も歩かない生活なので、運動しないと体が鈍ってしまうと感じ、毎日欠かさず続けています。

アメリカに住んでいた頃は、近所に広々とした家や芝生が多く、外を走るのがとても気持ちよかったです。特に秋のハロウィンやクリスマスシーズンには、飾り付けを楽しみながら走り、それを友人とシェアしていました。一方で、カナダの冬はとても寒いと聞いておりますし、あまりアメリカとは同じような光景も見受けられませんので、もっぱら屋内のトレッドミルで頑張って走っています。

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JV会社近くの州立公園ハンギングロック

また、映画鑑賞も好きで、特にアメリカ駐在時にはよく映画を観ていました。初めての駐在の頃はネット環境が整っていなかったため、頻繁に映画館へ通っていたのを思い出します。当時は日曜日の昼間だと、映画が5ドルほどで観られたので、「タイタニック」を2~3回観に行ったこともあります。

その後の駐在ではネット環境が充実していたため、今は映画というより、アマゾンプライムやネットフリックス、ディズニープラスでドラマなどを観ることが多くなりました。さらにVPNも利用しているので、日本の番組もすべて観ることができます。

ただ、ドラマやシリーズものは、一度見始めると続きが気になってしまうのが悩みです(笑)。先日もアメリカへ1週間出張していたため、その間に観られなかった分を、まとめて観るつもりでいます。

今後、カナダ駐在中に挑戦したいことはありますか。

初めてのカナダで冬なので、スケートはやってみたいですね。スケート靴も百ドルぐらいで購入できるようですね。小学校二年生の時と大学の時に挑戦したくらいで、日本ですとわざわざ行かないと機会がないですもんね。カナダですと公共のリンクが沢山あるということなので、続くかどうかは別として、挑戦してみたいですね。

商工会会員の皆様へメッセージをお願いいたします。

弊社はGuelphというトロントから西へ90kmぐらいの位置にございます。高速401号で1時間半程度の距離ではございますが、如何せん、中途半端に長い距離ですので思い切りがないと中々皆様とお会いすることも出来ません。何か催し物や企画などがございましたら、お声掛けを頂ければありがたいです。またこちら方面にいらっしゃる機会があれば是非ともお越し頂きたく、宜しくお願い致します。