今回は、Canon Canada Inc.小林伊三夫氏へお話を伺ってきました。ブランプトン市に構えられたオフィスは、ショールームをはじめ、カフェテリアやフィットネスルーム、リフレクションルームが併設されています。今年50周年と大きな節目を迎えたCanon Canada Inc.さん。既存の事業に加え、Managed ITサービスや宇宙産業といった新たな分野へ事業の拡大に注力されています。17年間のアメリカ駐在時に、ミニフォトプリンタIVYを開発されたお話、趣味である釣についてなど興味深いお話を聞かせていただきました。小林氏は2023年1月にカナダに着任され、今期商工会副会長を務めていただいております。 (聞き手 酒井 智子)
-御社の事業内容のご紹介をお願いいたします。
Canon Canada Inc.はキヤノン株式会社のカナダ市場を担当する販売会社です。キヤノンの事業は大きく分けて四つございます。一つ目がプリンティング、二つ目がイメージング、三つ目がインダストリアル、こちらは主に半導体製造装置などです、そして四つ目がメディカルです。この四つの柱のうち、最初の二つであるプリンティングとイメージングにおいてカナダでの販売マーケティング活動をする役割を担った会社です。
プリンティングというのは、まず一つがオフィス プリンティングで複合機といったデバイス、それに関連するソフトウェア、周辺機器です。また産業印刷機器を扱っており、これは大手の印刷会社さんに納めるような産業用の大きな印刷機となります。またお使いいただいた方もいらっしゃるかもしれませんが、家庭用のレーザービームプリンターや、インクジェットプリンターといったプリンティング機器も扱っております。
イメージングというのは、皆さんご承知のコンシューマ用のカメラ、ビデオをはじめ、プロの写真家さん用のものであったり、更には、テレビ局などでお使いいただいている放送機器用の大きなレンズ、映画産業用のシネマ用のビデオカメラ、そういったものと関連するソフトウェアを取り扱っております。イメージングにおいては、新規事業といたしまして宇宙の衛星に積み込む望遠鏡や、スタートラッカーといったキーコンポーネントの販売にも今まさに着手しようとしております。
-御社の強みについてお聞かせ下さい。
キヤノンという会社は1937年に設立され、90年近い歴史があります。その間、綿々と積み重ねてきた光学技術を基に、その後ケミカルなど、様々な技術に展開し、大きく伸びてきた会社といえます。そういった技術を基にした商品を、お客様に認めていただき、購入していただいているということが強みだと思っております。現在のカナダ市場においても、カメラはマーケットシェア一位をいただいており、 家庭用のプリンターにおきましても、社員の皆さんの努力で、この上期は一位を達成する見通しです。
-今後特に力を入れていきたいことについてお聞かせ下さい。
一般の方のキヤノンに対するイメージというのはカメラだったり、複合機だったりするかと思います。こちらの製品について、マーケットシェアをいただくチャンスはまだあると考えておりますので、引き続き社員みんなで伸ばしていきたいと思っております。
弊社は今年50周年を迎えましたので、これまでの先輩方が積み上げてこられた、既存事業をさらに伸ばしていくだけではなく、新しい事業にも果敢に挑戦していきたいということで、現在注力しているのが、Managed ITサービスです。ハードウェアが非常に強い会社でしたが、ITサービスやソフトウェアといった部分で、まだ機会があると思い現在Managed ITサービスの認知の向上と、ビジネスの拡大に全社で注力しております。
また、先程も申し上げました光学技術を活かしたB to B向けの販売、特に 政府や宇宙産業向けの衛星コンポーネント販売や、我々の映像機器の中核パーツである画像センサーのB to B向けの販売も拡大していきたいですね。
先日キヤノンの本社で「SPADセンサー」という新製品を発表いたしました。これは暗闇の中、または闇夜のような暗い環境下でも、キヤノンの放送用レンズと組み合わせることで数キロ先の 物体をカラーで認識できるという超高性能センサーです。そういった基幹部品の性能も活かして、コンシューマ向けのカメラだけでなく、高度監視や、衛星関連事業といったところへも展開していきたいです。一般の消費者の方がなかなかご存じない世界もどんどん拡大していきたいですね。
-私もプリンターとカメラの印象がとても強かったのですが、様々な事業をされているのですね。今年50周年という大きな節目を迎えられて、どんなお気持ちでしょうか。
なかなか50年続く会社というのは世の中で多くないと思いますので、社員全員で過去50年を振り返り、これまでの先輩方に感謝するだけでなく、これからの50年、どのようにキヤノンカナダを発展させていくかということが一番大きなテーマ だと思っております。今それに全社一丸となり取り組んでおります。
キヤノンが発展してきた理由は三つあると思っております。一つ目がInternationalization=国際化、二つ目がDiversification=多角化、これらを先駆けてきたということが非常に大きく、例えば我々もカメラ会社として始まり、当時は何十、何百とカメラ会社があった中、数社生き残っている中の一社です。なぜ生き残れたかというと、やはり国際化と多角化です。光学技術を基に、他の分野へ進出し、常にその時その時で伸びている或いはこれから伸びていくという産業へ入っていったということが大きかったと思っております。
そして三つ目がキヤノンが掲げている企業理念「共生」の理念です。文化、習慣、言語、民族の違いを問わず、Living and working together for the common good、共通善を目指して、みんなでハーモニアスに働いていこう。という「共生」の理念に向けて、従業員全員が一生懸命働いている、この三つによってキヤノンが今でもお客様から認めていただき、生き延びている最大の理由だと思っております。
色々な仕事の仕方や、事業そのものが変わっていったとしても、国際化、多角化、そしてこの「共生」の理念というのは永遠にキヤノンがある限り生き続ける、むしろこれがあるからキヤノンは生き続けられると考えております。
50周年を機に、こういった大事なものをもう一度社員皆で認識をして、これに沿ってやっていけば、きっと50年後のキヤノンの社員が100周年を祝ってくれるんじゃないかということを色々な場で話しております。また、社内だけでなく、全国三カ所ほどで、オープンハウスのように現在の商品ソリューションと、これからの少し先の将来を見据えた展示をさせていただき、お客様へご紹介する場を設ける予定です。
-小林氏ご自身についてですが、ご出身から今までのご経歴についてお聞かせ下さい。
私、田舎者でして、出身は東京の伊豆大島で高校卒業まで島におりました。 高校時代に自分の人生を見つめ直す一大転機があり、そこから自分なりに勉強をして、大学へ入学しました。大学入学後も普通の会社に入っていいものかと葛藤があり、会社に入る気もありませんでしたが、ひょんなことから転機が訪れそこで拾ってくれたのがキヤノンでした。
入社当時は決して真面目とはいえる社員ではありませんでしたが、会社のいいところというのは、多様な人材が集まっており、そういった方々から勉強をさせていただきました。また、会社というのは、なりゆきで続いているのではなく、本当に真剣に取り組んでいる人がたくさんいらして、そういった方々が集まっている中で、結果として続いているものなんだなということを実感する機会がたくさんありました。だんだんと長い時間かけて真面目な社員になっていきましたね(笑)。
入社後、日本で15年働き、複合機の営業から始まりました。 その後、ひょんなところから労働組合に入り15年中10年、労働組合におり最後はキヤノンの労働組合の委員長をやっておりました。当時の経営陣と労使交渉がたくさんありましたが、トップの方々がキヤノンと社員に対して強い思い入れがあり、会社を良くしていくためにあえて様々な厳しい改革をしていくところを目の当たりにし、その交渉と対応に明け暮れました。この10年は今でも一番辛い経験だったのですが、同時にとても勉強になりましたね。
その間に、仲のいい同期なんかはとっくの昔に、20代から海外に行って帰ってきたりとか、さらには2回目の海外へ行っていました。その時にはもう30代後半でしたので、これからずっと日本に居るんだなって思っていたところ急に海外赴任が決まりました。右も左も分からないまま、ある程度おじさんになった状況で、 遅れてきたルーキーということで、アメリカへ出たのが2005年でした。通常の駐在のローテーションというのは、大体5年から7年ですが、これもまた偶然が重なって2005年12月にアメリカに出て以来、一回も帰っていませんね。
-アメリカから横滑りでカナダに来られたのですね。
そうですね。横滑りというか北上ですが(笑)。アメリカで17年勤務させていただいた後、昨年末にそのままカナダへ赴任しました。カナダに行って働けるということは、まずそういうチャンスがないと思っていたので、夢にも思わなかったことですね。
-アメリカではどのような業務に携わっていましたか。
最初は家庭用のインクジェットプリンターの予算とビジネスプランニングの業務に携わっておりました。予算計画を立てて、それを実行していくという中の一員として入り、徐々に大きな組織を任せていただけるようになり、後半はカメラ事業も担当させていただくことになりました。様々な新規事業も任され、 非常に幅広い経験をさせていただきました。 そういった経緯もあり、今回キヤノンカナダの責任者を任せてくださったのかなと感謝しております。
-今までで一番印象に残っているプロジェクトについてお聞かせ下さい。
沢山ある中でも、ミニフォトプリンタ「IVY」を世界へ導入したことですね。実はこちらはキヤノン本社から仕入れたものではなく、当時のアメリカのグループで企画・開発・生産をして、世界に向けて販売した製品なんですよ。お陰様で小さい分野ながらも、マーケットシェアも取らせていただいております。
一番思い出に残っているプロジェクトの一つなんですが、なぜこれを始めたかといいますと、当時、家庭用プリンターの責任者をしており、 お客様の情報を見ると購入されているお客様の層が50代、60代、70代といったエルダー層の方が多数を占めていました。でも当時のアメリカは先進国では数少ない人口が伸びている国でしたので、若い方の割合が非常に高いですよね。
ジェネレーションZの層がどんどん伸びていき、人種の多様化が進む中、そういった層に受け入れられるコンシューマ商品というものを持っていないと、我々のブランドというのがどんどん知られなくなってしまうと思いました。
今でもそうですが、キヤノンというと高年齢層からよく知られたブランドなんですよね。当時、私の娘がまだ小さかった時に、家にプレイデートで娘のお友達がたくさん遊びにくるわけですよ。たまにキヤノンの話をすると誰も知らないんです。中で一人「キヤノンって私知ってる。私のおじいちゃんがカメラ持ってる!」って、Granddadブランドなんですよね。
それはそれで大変ありがたいことですが、このままだとキヤノンブランドが次の世代から忘れ去られる存在になってしまうといった危機感がすごいあり、ある程度子供も含めたジェネレーションZの方に手に取ってもらえる商品を何か企画したいということで、「IVY」の企画・開発をしました。携帯からBluetoothで写真を飛ばすと、2×3インチのシールが出てくるんですよ。
-自分でできるプリクラみたいな感じですか?
そうです。お子さんや若い方はすべからくシールが好きですよね。今もそうだと思うんですが、若い特に女の子たちはバレットジャーナル (Bullet Journals) いわゆる手作りノートを作りますよね。モバイルで好きな写真をシールにできて、フレームやハートマークといったステッカーも自由に付けられて、打ち出してノートに貼ったりできるんです。そういったのを目指して、ヒットしたのは大変嬉しいですね。日本やヨーロッパでは違うブランド名で販売しています。
これは成功した方の思い出ですが、失敗の思い出は山ほどあるんですよ(笑)。社員のみんなにも、月並みですけど、失敗を恐れないで色々なことをやりましょうと。前向きな失敗は前向きに怒ってくれるという、それがキヤノンのいいところだと感じています。
-お仕事を進める上で大切にされていること、独自の経営方針についてお聞かせください。
キヤノンの会社方針をカナダ市場に合わせてどう展開していくかということを常に考えております。そういった意味でいいますと戦略のフレームワークを必ず作り、社員の皆さんと全て共有し、そのフレームワークの中で、フレームワークに沿って、一人一人が仕事をしていくよう常にコミュニケーションを取るようにしています。戦略と、それを実行していくチームメンバーみんなのコミュニケーションが大事だと考えていますね。
会社やグループで、何かうまくいっていなかったり、逆にうまくいったりする理由をいろいろ突き詰めて考えていくと、結局コミュニケーションなんじゃないかと思うんですね。私もこの立場で仕事をするのは初めてですが、戦略を実行していく上で、課題を見つけて、問題があればそれを取り除き、一人一人の人たちが見えていないところであっても、コミュニケーションがうまく進むようバックアップをするということが、私の仕事だと思っています。
長く仕事をやっていると、一個一個のディレクションではなく誰でもインストラクションができますよね。経験の長い人の方が、一個一個の仕事を進める能力というのは当然あるわけで、要はやろうと思えば箸の上げ下げも上司であればみなさん指示ができるわけですよ。でもそれをやってしまったら私の仕事をしたことにならないので、皆さんがそれぞれの仕事を楽しく、モチベーションを持ってできるよう裏で仕掛けを作ることを常に心掛けています。
-プライベートについてお伺いいたします。お好きなスポーツは何ですか?
ジョギングです。マラソンへは年に2回程出場しています。父親の家系が糖尿病系なので、常に健康でいたいという思いがあり、走るのは一番体に良いですよね。あとは伊豆大島の出身なので、子供の時から釣りをしていました。なので、走ることと釣りはずっと続けています。
2023年の1月からこちらでお世話になっていますが、走るのが好きだと言ったら、社員のみんながいろいろ教えてくれて、3月にハミルトン30キロ、5月にはトロントマラソンへ出ました。トロントマラソンはトロントの素晴らしい景色の中を走り、トロントを知ることができるいい経緯になりましたね。
-来られて早々マラソン出場されたのですね!先程釣りのお話がでましたね。
しばらく子供が小さかった時は家族の時間を楽しんでいましたので、お休みをしていましたが、子供が大きくなったのと、いずれ定年退職したら田舎に帰って釣りの暮らしをしたいなと思っていたので、また5年ぐらい前から再開し、釣りシーズンはほぼ毎週末、ニューヨーク・ロングアイランドの東の果ての方まで釣りに行っていました。
「朝まづめ」と言って日が上がる前から釣って、朝日が出てくる時ぐらいがいいタイミングなんですよね。季節にもよりますが、朝3時とか4時に起きて、 真っ暗な間に砂浜にいき、海の中に入って釣りをしているとだんだん朝日が昇るんですよ。毎週末、ご来光眺めるみたいな。そういうなかで魚を釣るんですけど、ストライプドバスや、スマガツオを狙います。年に1、2回はみんなで船を借りて、マグロを釣りに行ったりしていましたね。ようやくカナダでも釣りを楽しめる季節になったので、川釣りの知識を養って釣りを楽しみたいです。
-今後カナダ駐在中に挑戦したいことについてお聞かせ下さい。
やっぱり釣りですね。サーモンを釣って自分でさばいて、色々な食べ方をしたいですね。釣りを中心として、せっかくカナダで仕事と生活をさせていただく機会をいただいたので、カナダならではの体験をし、その中でカナダのことを学び、最終的には社業発展に貢献できればと思っています。
-最後に商工会会員の皆様へメッセージをお願いいたします。
商工会に私もお世話になり、程よいサイズ感で会員同士の交流も盛んで、色々な会社の方々が日本人社会の中で協力し合っていらっしゃるのを目の当たりにして、本当に素晴らしいなと感じております。何かお役に立てることがあれば、お声かけていただきたいですし、こちらからもお願いしたいことがあれば遠慮なくお願いしたいと思いますし、そうやって支えあう仲間に入れていただくことで、商工会が掲げている活動目的の実現に貢献できばと思っております。
-本日お忙しい中ありがとうございました。これでインタビューを終わります。