今回はMHI Canada Aerospace, Inc. の横沢達臣氏を訪ねました。三菱重工の100%子会社として航空機を製造している同社は、2000 年代よりボンバルディア社のビジネスジェット機の主翼と胴体の一部を作っています。長らく航空機のお仕事に携わっていた横沢氏に航空業界のお話をはじめ入社当時のエピソードなどお聞かせいただきました。プライベートでは、登山を本格的にされており、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロの頂上を制したそうです。(聞き手:酒井智子)
-事業内容のご紹介をお願いいたします。
MHI Canada Aerospace, Inc.は三菱重工業株式会社の100%子会社になります。三菱重工は様々な事業を行っていますが、その中の航空機部門である民間機の製造子会社です。ご存知の通り、カナダにはボンバルディアという航空機の製造メーカーがございます。三菱重工は1990年代にボンバルディアからビジネスジェット機の主翼と胴体の一部の製造を受注し、当初は日本で組み立ててカナダに納入していたのですが、2006年にカナダに組立工場を建設、それが弊社です。
-御社の強みについてお聞かせ下さい。
そもそも民間機を製造している会社は、世の中に数社しかありません。エアラインが飛ばしている飛行機を製造している会社は、現在はボーイング、エアバス、エンブラエルの三社となります。これら民間機を製造している会社において、主翼を他の会社に作らせることは基本的にありません。
ボーイングも基本的には自社で主翼を製造しており、エアバスも自社工場で製造しています。主翼は大変重要なキーコンポーネントですので、外注に出さずに自社で製造するというのが基本的な考え方なのです。一方で、三菱重工はボーイング787の主翼を受注し、日本で組み立て、ボーイングへ納入しています。ボーイングが主翼を外注したのは、世界で三菱重工のみです。
また、現在はビジネスジェット機の専属メーカーとなったボンバルディアが初めて主翼を外注に出したのも三菱重工です。それを引き継ぎ、弊社ではGlobal 5500/6500に加え、Challenger 350という機種の主翼を製造しています。
それ以外の機種はボンバルディア内部で製造していますが、この二機種を三菱重工へ発注したということは、最も重要な主翼を任せられる会社という評価を受けているものと自負しており、主翼を作れるだけの実力と製造能力の高さが三菱重工ならびに弊社にとっての大きな強みだと思っています。
-ビジネスジェットはどのような方が利用されますか。
ビジネスジェットは、プライベートジェットとも呼ばれる機種で、世界の「超」がつく大金持ちや会社などの法人が機体を所有します。会社所有の車を「社有車」と呼びますが、飛行機の場合、三菱重工のアメリカ法人も機体を保有しているのですが、それを「社有機」と我々は呼んでいます。
基本的には超大金持ちと、ビジネスコーポレートの会社さんが移動のために使うのがビジネスジェット/プライベートジェットです。以前、三菱重工の重役の北米出張の際に随行しビジネスジェットに乗る機会がありましたが、一切セキュリティチェックがなく、車に乗るような感覚で機体に乗って飛びますので大変快適でした。セレブリティがプライベートジェットに乗りたがる気持ちが良く分かりました。
先程お話したGlobal 5500/6500は最大で18人乗り、東京からニューヨークまで飛ぶことが可能です。ボーイングが作っているジャンボジェット機のような大きい飛行機は太平洋を越えて日本-アメリカ間の飛行が可能ですが、それと同じくらいの航続距離を持っているのがGlobalです。Challengerという機種は、小さめの飛行機ですが大西洋を横断することができます。距離でいいますと、ニューヨークからロンドン辺りまで行くことが可能です。
-映画の世界ですね。今後特に力を入れていきたいことについてお聞かせ下さい。
弊社はボンバルディア向けに2つの機体の製造に携わっていますが、顧客が1社という状況はポートフォリオとしてもいびつなため、顧客基盤を拡大する必要があるという課題認識を持っており、新しい事業に取り組んでいきたいと考えています。
新しい事業というのは、ふっと湧いてくるものではありませんので、地道にお客様との関係を培って、信頼関係を築きあげる必要があります。我々の業界はプレーヤーや顧客が限られていますので、なかなか飛び込みの営業のようにはいきません。既存の事業の継続と同時に、ボンバルディアからの新しい仕事や、ボーイングやエアバスでの新事業の展開に注力し、新規参入の機会を現在探しているところです。
-ここで横沢氏ご本人について、お伺いいたします。ご出身から今までのご経歴についてお聞かせ下さい。
実家は鹿児島です。鹿児島の高校卒業後、北海道の大学へ行きました。あまのじゃくですので、九州に留まっていたくないと思い、出てしまったところが北海道まで行ってしまいました(笑)。
鹿児島を出て、感じたことがあります。鹿児島に立って日本を見ると、日本が上に伸びて見えていましたが、北海道に来てみると日本が下に伸びているんですよね。大げさに聞こえるかもしれませんが、自分の中の日本の姿が変わり、海外へ行ったら日本がもっと別の角度から見えるのでは?と思い、海外で働くことに興味を持ち始めました。
海外での仕事は色々あるかと思いますが、せっかくだから夢のある大きな仕事をし、自分がやってきた爪痕を残したいと学生の頃から漠然と思っていました。また、日本は資源もありませんので、資源を輸入し、加工し、組み立て、形にして…と日本が生き延びていくためには、外貨を稼ぐことが必要となります。そこで何か大きな仕事で外貨を稼ぐ輸出産業に行きたいという気持ちで三菱重工へ入社しました。
最初の配属は広島でした。当時第三希望まで配属先が記入できましたので、第一希望を長崎、第二希望を神戸、第三希望はブランクで提出したところ「一応書いてくれ」と言われ、深く考えずに記入した広島に蓋をあけてみれば配属されました。実は入社後、一度も希望通りにいったことがなく、現在ここにいます(笑)。
私が入社した30年近く前の世界では、中東やアフリカ、東南アジアなどの途上国は電気が不足していましたので、そういった途上国に電気を供給する発電プラントを建てる仕事に携わりたいと思っていましたが、残念ながら叶いませんでした。ただ、希望していた輸出の仕事には関わることができ、香港やシンガポールなどの港湾でコンテナをハンドリングする大型のクレーンを日本から東南アジア諸国に輸出する仕事に携わりました。
広島で10年以上勤務した後、名古屋で飛行機の仕事があるから行ってみないかと言われ、2006年以降は飛行機の仕事に携わっています。ボーイングの仕事をずっとしてきましたので、ボーイング駐在を希望していましたが、カナダへ行けという事でやって来ました。やりたいことをかすってはいますが、なかなかド真ん中にいきません(笑)。
-海外駐在はカナダが初めてですか?
そうですね、ずっと海外出張ばかりで駐在は初めてです。2021年9月末の紅葉が綺麗な時期にカナダへ来ましたが、精神的な余裕がなく気づいたら冬となり、半年経ってようやく右も左も見えるようになってきました。寒いのは、本当に辛かったですね(笑)。暖かい季節を迎えているので、いい季節を楽しみたいと思っているところです。
-一番印象に残っているプロジェクトについてお聞かせ下さい。
先程、コンテナをハンドリングする機械のお話をしましたが、我々は運搬機と呼んでいて、運搬機部門では石炭を運ぶベルトコンベアも扱っていました。火力発電所向けのベルトコンベアでしたので、希望していた発電プラントそのものではなく、発電所の周辺機器です。かすってた訳です(笑)。
このプロジェクトは、日本で受注した仕事をマレーシアで作りインドネシアに納入するという三国間貿易のような構図でした。入社三、四年目の若僧が勢いだけで仕事をしていましたので、結果うまくいかず、マレーシアの下請けでトラブルが発生し納期が大幅に遅れてしまいました。
お客様の技術コンサルタントをしていた日本のエンジニアリング会社へ状況を説明する必要があったのですが、その会社からは「設備が稼働しなかったらトラック数千台用意してでも石炭を全て運ぶように」と厳しく言われてしまい…本当に辛い日々でした。ただ、その会社の方々も何とかいい製品を納入させたいという大きな目標は同じでしたので、最後は「一緒にいいものを作りましょう」という雰囲気になれたことは嬉しかったです。
一番痛快だったのは、大幅な納入遅れにも関わらず、契約納期違反のペナルティーがゼロになったことです。といいますのも、発電プラントそのものが遅れていて、我社のほうが早く納めることができましたので、ペナルティーなしで終えることができました。当時はすごく辛かったのですが、社会の厳しさや契約条項、リスクなど沢山のことを学ぶことができたと感じています。
翻って、飛行機の事業というのは大変大きなリスクを伴います。墜落して大事故にならないためにも、まずリスクを考えられるだけ挙げていきます。若い頃に勢いだけで仕事を取り、リスクも何も考えずに突っ走って失敗したことを反省し、新しいことを始めるにあたってはそれに対するリスクを考えるという思考の癖がつきましたので、今の飛行機の仕事に役立っています。経験は後から生きるものだと痛感しています。
-お仕事を進める上で大切にされていることは何ですか。
自分の仕事を家族や友人に誇りを持って話せるようにしたいですね。自慢するということではありませんが、仕事にプライドを持つことを大事にしています。それが結局はコンプライアンスに繋がっていくと思っており、法令違反を犯して罪をおかすような仕事などは人には誇れません。当たり前のことですが、自分の妻や子供に胸をはって「お父さんはこんなことをやっているんだよ」と言える仕事をしていきたいと思っています。
-プライベートについてお聞かせ下さい。趣味は何ですか。
趣味は登山です。結構本格的にするんですよ。一番の自慢はアフリカの最高峰キリマンジャロに登ったことです。日本にいる時は、三連休があると必ずといっていいほど山へ行ってました。名古屋に住んでましたので、鈴鹿山脈の御在所岳へよく行ってました。トレーニングがてら、30回くらい登っています。
-登山をはじめたきっかけは何ですか?
ボーイングの出張者から、「今度一緒に富士山に登ろう!」と言われたことがきっかけでした。金曜日の夜から寝ずに登り、土曜日の朝に富士山頂でご来光を拝んで、そのまま下山するという弾丸登山です。初めての登山が接待でしかも富士山…(笑)。
まさか初心者の自分が頂上まで登れるとは思ってもいませんでしたので、自分の足で一歩づつ進めたことに感動して、山頂で涙が出ました。この足で登り切ったんだと、富士山頂で自分の足を写真に撮りました。一歩一歩の積み重ねがこんなに素晴らしい景色を見る事ができるのかと思い、そこから登山にはまりました。
もう一つ登山を続けた理由として、富士山を登るにはそれなりに装備を整える必要があり、登山靴やレインウェア、ザックなど、あれやこれやで10万円くらいの出費でしょうか。すると妻から「10万円も使ってまさか一回切りではないわよね?」と言われ、意地になって山に行ったというのもありま(笑)。日本には3000m峰が21座あり、そのうち14座を制覇しました。残りの7座を制覇したいというのが、今のプライベートな目標です。
-すごく本格的ですね!キリマンジャロはいつ頃行かれましたか?
コロナ前の2018年です。遡ることその五年前に会社で特別休暇をいただいたので、キリマンジャロに行くか南米に行くか迷った末にその時は南米に行き、マチュピチュまでの三泊四日のトレッキングツアーに参加しました。こちらも最高地点が4200mまでいくので登山並みにハードな道のりなんです。
そして2018年、以前迷ったキリマンジャロへ行こうとチャレンジしました。キリマンジャロは「白い山」という意味で、標高が6000mくらいあります。何が白いかというと雪なんですね。赤道直下ですが、山の上に氷河があり、その上を歩いて山頂を目指します。富士山と同じ独立峰で周りに高い山がありませんので、景色が素晴らしくとても感動しました。
-今後カナダ駐在中に挑戦したいことは何ですか?
山が好きですのでロッキー山脈に一度いきたいです。人並ですがオーロラも観てみたいですね。カナダでしかできないことを見つけてチャレンジしたいです。
-最後に商工会会員の皆様へメッセージをお願いいたします。
航空業界はプレーヤーが限られており、非常に狭い世界です。他の商工会会員企業の皆様と仕事上でのお付き合いが正直申し上げてあまりございませんが、交流できるような場に極力参加をして、今後共関係を深めていければと思っております。
-本日はお忙しい中ありがとうございました。これでインタビューを終わります。