「こんにちは!」新代表者紹介インタビュー

<第226回>
Shogun Maitake Canada Co., Ltd.
将軍まいたけカナダカンパニーリミテッド CEO 大平 喜信

Mr Odaira

今回は2021年10月に入会されたShogun Maitake Canada Co., Ltd. の大平喜信氏へインタビューをいたしました。安定供給が難しいとされるマイタケ、特に希少価値の高い黒マイタケを生産販売されている将軍まいたけさん。大平氏はマイタケの素晴らしい薬効を世界へ広げるべく「雪国まいたけ」を創業された方でもあります。マイタケ事業を始めたきっかけ、なぜカナダへ来られたのか、独自の経営方針、そして一度は耳にしたことがあるお馴染みのあのコマーシャルの裏話など、貴重なお話を沢山お聞かせいただきました。(聞き手:酒井智子)

-事業内容についてお聞かせ下さい。
マイタケの中でも黒マイタケというマイタケを生産し、専ら生で販売をしております。特に高級レストラン向けです。事業を始めたのは、今から40年程前に日本でマイタケを生産しており、また35年以上前からマイタケの薬効について大学と研究をしていたことがきっかけです。

人間にとって有益な薬効があると分かり、食べて美味しく、食べて健康にいいという素晴らしい商品を世界の食材にしなくてはいけないと、私が創業した日本の「雪国まいたけ」で世界戦略をやろうという提案をしました。

しかしながら、幹部の方達より同意が得られなかった為できずにおりました。その後、私が同社を辞め、北米からマイタケを普及して世界の食材にもっていこう、ということを考えておりました。丁度その時に、ある方からカナダ・ロンドン市の市長が、マイタケの生産工場を作りたいというお話を頂き、カナダへ来ました。

Ministry of Economic Development
Ministry of Economic Developmentの Vic Fedeli大臣が訪問 CTVニュースの取材もhttps://london.ctvnews.ca/local-businesses-get-millions-in-funding-to-help-create-dozens-of-new-jobs-1.5621184

当時の市長は退職されましたが、後任の市長からも歓迎をされ、現在ロンドン市でテストプラントを作って操業しております。現在従業員数は私を含めて15名です。

-日本とカナダと文化や環境が異なりますが、カナダへ来ると決まった時は、いかがでしたか?
日本では世界一の豪雪地帯である新潟県南魚沼市で生まれたので、寒いだろうなと期待をしてきましたが、実際に来てみるとやはり寒いですが、雪があまり降らないので結構住みやすいですね。あと、私は英語がまったくできませんでしたので、少々困りましたね。

-社名である「将軍まいたけ」の由来は何ですか。
マイタケは元々「舞茸(踊るきのこ)」といわれており、昔の将軍が農民が献上したマイタケを食べたら、非常に体の調子が良くなったということで、農民を集めてまたマイタケを見つけるように、そして見つけてきたら同じ重さの銀と交換するといいました。農民はマイタケを見つけると喜びのあまり舞い上がり、マイタケという名前の由来が将軍様であったということです。

私共が生産している黒マイタケですが、今から10年以上前に「東京の築地市場に天然の黒マイタケがでたら1kg 10万円の値段がつく」と言われていたくらい希少価値があります。その生産に私共が挑戦をして、5、6年前に安定して作る技術を開発しました。

マイタケの中でも一番価値の高いものを作っているということから、将軍の名前を付けたほうがいいだろうということ、日本の名前を世界に知らせるのに役に立つということで、「将軍まいたけ」とつけました。また、以前の会社は雪国で作ったので「雪国まいたけ」としましたが、今回は将軍様への献上ということで、黒マイタケを作ったので将軍と名付けました。

-マイタケにそのような由来があったのですね。御社の強みについてお聞かせ下さい。
マイタケは40年程前までは生産が難しくてできませんでした。美味しくて希少価値の高いものでしたので、周囲の反対を押し切って、「誰も作れないんだったら私が作ってやる!」と若さに任せて33歳の時に日本で挑戦をしました。ある程度順調に出来るまで、10年程かかりましたね。

私達は特許を申請せず、自社のノウハウとしてそのまま今日までマイタケを生産してきました。今でも「雪国まいたけ」は日本にもありますが、全国の生産量の50%くらいのシェアを持っております。自身の退職後は、超ベテランの方もいなくなり、視点を変えたりしながら今日に至っております。

私が会社を始めた39年程前は、日本の上場会社数社が参入してきましたが、やはり生産が難しく、ほとんど辞めてしまっているようです。また、アメリカ・ニューヨークへ日本から空輸して販売もしました。高い評価を得ましたが、アメリカでの増産には至っておりません。供給量が増えれば需要もあるのですが、生産が難しい為、供給ができる人がいない中、私共は安定供給をすることができます。これが、当社の一番の強みだと思っております。

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将軍まいたけの工場内

-今後、特に力を入れていきたいことについてお聞かせ下さい。
先程から少し話の中に出ておりますが、マイタケは非常に健康に良いということで、カナダ保健省からハーバルメディスン、また薬効として免疫サポートを謳って構わないということで現在、保健省に許可を申請しております。許可が下りたら、マイタケをサプリメントで販売をしようと考えております。

また、私共が提携している会社が昨年の8月にNASDAQに株式を公開し、マイタケエキスを癌の薬にしようと一部臨床実験が始まっております。年間約2000万人程の方が癌の宣告を受け、約1000万人の方が亡くなっていますが、これに何とか貢献できないか?半分にできたらすごいことだ!その可能性は十分にある!と、毎日わくわくしながらマイタケを生産しております。これが人の命を助けるんだと思うと嬉しくてたまりません。

薬効として、免疫サポート、癌にいいということですが、それ以外にどのような効果がありますか
糖尿病の血糖値を下げる、血圧を下げる、便秘改善、脂肪を燃やしダイエットにいいなど、たくさんの効能が研究で出てきています。

-素晴らしい食材ですね。ちなみにカナダならではの美味しいマイタケの食べ方などはありますか?
カナダの皆さんが好きで、手に入りやすいピザのトッピングにすると、健康的に美味しく食べられると思います。私達がおススメするのは、バターソテーですね。カナダの方も美味しいといって食べてくれます。

-ここで大平社長ご自身について、ご出身、今までのご経歴などお聞かせ下さい。
出身は新潟県南魚沼市です。世界一の豪雪地帯と言われており、幼少の頃は冬、学校の校庭に4.5mくらい雪が積もっていましたので、2階から出入りしていました(笑)。最近では温暖化の影響もあり、積もっても2mくらいですね。

中学校卒業後、両親の勧めで、川﨑市の諸角工務店という電線をまくドラムを製造する会社へ18歳まで勤めました。その後、私が長男ということで、都会に長くいると家を継がなくなるといけないということで、両親に呼び戻されました。

2年程農業を手伝い、20歳の頃に理研電具製造株式会社へ入社しました。車のワイパーのモーターにフライト磁石というのが入っており、それを製造する会社でした。そちらへは6年勤務しておりました。その後、26歳の頃に突然「私の人生だから私の勝手にする!」と両親の反対を押し切り、辞めてしまいました。

私、小さい時からしつこいんです(笑)。しつこくて「なぜ?なぜ?」と聞くことが得意なんですね。そうすると、人の心の中に入っちゃうんですよ。5回「なぜ?」を繰り返すと人の心の中に入り、その人の心が何を考えているのか、それによって行動が分かってくるんです。

日本で中規模企業の社長が11名くらい集まるテレビ番組に出演したことがあり、司会者の「成功の方程式があるか?」という問いに私しか手を挙げませんでした。そこで私は「世の中の動物は全て自己の望みを叶えるために行動を起こしています。人間だけでなく、猫、犬、カエル、ミミズと動いているのは目的があり、自己の望みを叶えるために動いているという前提があるなら、その望みを誰よりも有利な条件で叶えてやると、事業は絶対に成功します。ただし、相手が何を望んでいるのか正確に分からなくてはいけない。」と回答しました。

私の母親が非常に厳しく、毎日学校から帰ってくると、二宮金次郎のように薪を背負ったり、炭を山からおろしたりといったことをさせられていました。そこで、何で自分だけこんなことをしなければいけないの?と「なぜ?なぜ?」と考えているうちに、しょちゅう「なぜ?なぜ?」をやる思考になりましたね。

そのうち、人の心に入っていくようになり、そこから段々と人間はこういった時はこういう風に動くとか、お金のない人は何を優先するか、お給料が上がってくると今度はこういう物にお金を使うという風に人の心が分かるようになってきました。「マズローの五段階の欲求」というのがありますが、昔はぴったりでしたね。今の若者はそうでなくなり、お金がなくたって欲しいものを買ってしまうので、当てはまらなくなりましたね。

そういったことに非常に関心がありましたので、26歳の時には、「自分の得意なものを、若い時から挑戦しなくては何事も始まらない」と思いやっており、人の望むものが分かって、世の中の人が可能にできないことに挑戦し可能にすれば必ずや世の中のためになる、そうすれば事業が成功するという筋書きが分かりました。

私は中卒でしたのでサラリーマン時代は、いくら不良品を減らしても給料は上がらないですよね。その不満から自分で起業しようということで、今まできております。

-それでマイタケ事業を始められたのですね。
その通りです。皆に反対されましたが、そんなに皆が反対することを可能にしたら逆に皆が褒めてくれるだろう、じゃあやってみせよう!ということで始まりました。おへそが曲がっているので、人が反対するとやりたがります(笑)。

そしたら運が良く始めてすぐに、神戸薬科大学と研究をはじめ、マイタケに様々な薬効があるという証拠がでてきました。日本国内外で多くの企業が安定量産に挑戦してますが、今もってできずにおります。

-今までで一番印象に残っていることについて、お聞かせ下さい。
私は26歳で、もやし事業を始め、34歳でマイタケ事業を始めました。マイタケがある程度軌道に乗ったところで、もやしを拡大しようと今から25年程前に40億円をかけて大きい設備を作りました。しかし、その後4年くらいで11億円の累積赤字を作ってしまいました。

言い出しっぺは私なので、私が乗り出して、累積赤字を消さなくてはいけないということで、テレビ関係の広告宣伝費として1.5億円を使いその後、売り上げが6.5倍になりました。
どういったコマーシャルをしたかと言いますと、当時一年以内に消えるタレントの10名に入っていた芸人のハナワさんを起用して、15秒で「雪国もやしはめちゃめちゃ高いから、みんな絶対買うなよ」というコマーシャルを作りました。

ハナワさんにも「これ、本当に歌っていいんですか?」って言われましたが、「いいんだよ、歌ってくれ」といいました。役員会で誰も賛成しませんでしたが、「ただ反対では分からない、私は賛成の理由を20分もかけて皆さんへ説明しているので、反対の人は論理的に反対の理由を説明してもらわなくては困る」と言いました。「そんなコマーシャル世間でやったことないから反対だ」というだけではだめだと。

そういったら、誰も手が上がらなくなり、私一人が賛成、反対ゼロということで決まりました。その時も私は視聴者の心を読んでいました。こんな安いもやしがめちゃめちゃ高い、本来なら「安いから美味しいから買ってね」というところ、「高いから絶対買うなよ」といったので、視聴者の方は耳を疑りますよね。

-そのコマーシャルはとても耳に残るフレーズで、私もよく覚えています。
当時一日に日中だけで45本流したので、何回も聞くうちに好奇心がくすぐられた人はお店に買いに行きます。めちゃめちゃ高いから皆絶対買うなよというもやしはいくらなんだろうか?買うなというのは何なんだろう?訳が分からないよとなりますよね。恐らく10人の内3、4人はお店に行くだろうと予測をしていました。

ちょうど4の月末頃でしたので、お客さんは暖かい時期に自転車に乗って店舗を回りますが、ほとんどお店に置いていないんですよ。そのうちもやしを求めて5店舗くらい回ると、暑くて汗びっしょりになるので今度はクレームを入れるんです。100店舗に毎日5人も10人もの人が、コマーシャルで流れてる商品が何で置いてないんだ?と。

バイヤーは無視できませんよね。そうすると、バイヤーが工場を見に来るので、工場内を案内して衛生的で薬も使わずに、安いコストで生産していることを説明しました。実際には半値なんですよ。太もやしの根切りもやしは他のメーカーが先に売り出していて、一袋200gが98円のところ、知恵を絞って半値の48円で売れるように設定しました。それでも売れなかったので、このコマーシャルを作ることになりました。

「めちゃめちゃ高い」というのは、値段の高さを言っているのではなく、作る理念が高いということ、そして絶対買うなよという部分は、他社の半値で同じ商品が買えるので、買うなと言っても絶対買うでしょう、という自信の表れなんですよ。これをやると、テレビ局が取材を申し込んできましたが、5~7%の視聴率に1社だけ受けるようにしました。

そこで種明かしをすると、視聴者も少ないので口コミでどんどん広がっていくんですね。ゴールデンタイムで種明かしをすると、皆さんが見ているのですぐに興味がなくなっちゃうんですよ。これで1日に18万回くらい雪国もやしがインターネットでやり取りされ、一時的に検索でトップになりました。

そういった仕掛けのお陰で、売り上げが一気に6.5倍になりました。その後、3~4年で累積赤字11億を精算することができました。その年のCM大賞の3位にもなりましたね。それが一番印象的で、面白かったことですね。

-お仕事をされる上で大切にされていることについて、お聞かせ下さい。
世の中が思い通りにいかないのは、全て自分が悪い。そう思っています。なぜかといいますと、先程申し上げたように、人は自分の望みを叶えるために行動を起こしています。その人から当社の事業へ協力してもらいたければ、他の会社よりも当社が一番あなたの望みを理解して、叶えるのに一番早道でしょうという環境を作ってあげれば、相手もここで頑張ろうと思います。

ただ、逆手に思われる人もいるので、努力しない人、あるいは会社の方針に沿わない人に常に自分が悪い悪いというと、社員教育によくありません。自分のときはそう思っていても、全部基本方針でやるわけにもいきませんので、指導のために批判も必要となってきます。

ただ、自分を追い込むと負荷がかかり、夜なんかも眠れなくなります。もやし事業を始め、マイタケ事業が軌道に乗るまでも20年近くは毎日3時間睡眠でした。常に部下が思い通りにいかないのは自分が悪い、マイタケが上手くできないのは自分が悪いと全部自分に責任をかけるので寝てる時間がありませんでした。大学も出ていない私にとっては、自分を追い込んで自分の知恵をなんとか出すということを常にやっております。

人間の脳は自分の命を守るために付いているので、命がけになった時に初めて脳はフルパワーを発揮するんですよ。そうでないと脳も怠けものなので、考えたふりはするけれど、本気では考えないんですよ。世の中の人間は、全員が天才になれます。天才にならない人は、なりたいと思わない、なる気がないのでならないんです。

すごい価値ある目標が設定されて、達成されたら死んでもいいくらい価値のある目標を設定されたら、それを達成するために命がけになります。そうすると、世の中の人のできないことがどんどん可能になっていくと私は思います。

marathon
2019 Summer Night 5㎞ マラソン大会70歳以上男性の部で1位

-プライベートについて、ご趣味やお好きなスポーツはありますか。
日本にいた時は、スノーモービル、スキー、ジョギングをしておりましたが、カナダへ来てからは、英語も分からないので人から聞いた情報でカナダの環境を自分の頭の中で整理することの忙しく、仕事一本ですね。

スノーモービル、スキーはできませんが、工場の隣りに農道がありますので、1日3kmから10kmくらい走っています。真冬になると外は走れませんので、ジムに通っています。マイタケは健康にいいといっているのに、私が病気になると嘘っぽいねと言われてしまうので、健康には気を遣っています。今日もインタビューの前に3kmくらい走ってきました。

-今後挑戦したいことについて、お聞かせください。
先程も申し上げましたが、毎年癌でなくなる1000万人の6割でも7割でも助けられたら、本当に価値があることですので、今はそこに夢中になっております。色々なサプリを販売して、データが集まったら、今度はマイタケを薬に開発したいと思っています。また、日本で育てて頂いたので、日本語のマイタケを世界の共通語にしたいですね。一つぐらい日本人に誇りに思える実績を残しておかないと、日本国民に申し訳ないかなと思っております。

-最後に商工会会員の皆様へ、メッセージをお願いいたします。
現在は非常に厳しい状況かもしれませんが、世の中思い通りにいかない時は自分を追い込んでみると、知恵がどんどん出てきます。他責にしている人はその時は楽ですが、いくらたっても反省もしませんし、知恵も出てきません。世の中思い通りにいかない時は、自分を追い込む勇気をもっていただいたら、人間そのものの生活がもっと豊かで楽しいものになる思います。決して他責にせず、逃げないように向かっていってもらいたいと思います。

雪国まいたけのときに、新入社員が80名から100名、毎年入社してきました。私が入社式の時に一時間半かけて「皆さん、これから他責にしちゃだめだよ。全て自責だからね」ということを話しました。私が体験して、すごく人生が楽しく、これからももっと楽しくしたいと思ってます。自分の1.3kgの脳みそを如何に有効活用するかということですので、是非、皆で挑戦をして、脳は生きているうちに活用するということを実践して頂きたいと思います。

-本日はお忙しい中、ありがとうございました。これでインタビューを終わります。