カナダで活躍する若手日本人に聞く


RYUS Noodle Bar 
オーナーシェフ 高橋 隆一郎さん


(伊東)まずは、レストラン業界に入ったきっかけをお伺いできますか。

(高橋氏)学生時代から、経営コンサルタントになりたかったのですが、学生時代にアルバイトしたのが飲食店だったんです。

その店には、いつも決まったものしか頼まない昔堅気のお客がよく来られていました。話かけても返事をしてくれない人だったのですが、自分が大学でゴルフをやっていた事もあり、ある時ゴルフの話を振ったらそのお客さんの目が変わったんです。それからは、来られた際には話もしてくれるようになり、その時、顧客接待は面白いものだと気づきました。

大学卒業後は、その飲食の現場での難しいお客様とうまくコミュニケーションがとれたという経験などから、将来的には飲食のコンサルタントになってみたいという気持ちが強くありました。

しかし、将来的には進むことになるにせよ、まずは現場から入ってみたいと思い、経営情報の提供とフランチャイズ加盟店開発事業を行うベンチャー・リンクの子会社で飲食業に特化した“プライムリンク“(現アスラポートダイニング社)という会社に入社しました。

フランチャイズチェーンで「牛角」を運営するレインズ・インターナショナル、今はサンマルクカフェで知られているサンマルクとも提携しており、大きなチェーンの運営ノウハウはもちろんのこと、自社でも店舗現場をもっていたのが大きな理由でした。

(伊東)その後、トロントに来るまでの経緯を教えていただけますか。

(高橋氏)入った会社が非常にユニークで、一番初めにまず自分の30年間のライフプランを書きなさいと言われました。それまで、そんなこと考えてもみ見なかったので面喰いましたね。しかし、とにかく全部埋めなくてはいけなかったので53歳くらいまでのプランを漠然と描いてみたんです。

その時に自分の中で35歳というのは一つの目処だなと考えました。会社に入社してから5,6年たった頃に会社をいったん出て、大学院に戻るか、海外に留学に出るかのどちらかと決めていたので、思い切って海外に出てみようと決めました。

私が入社した当時は、狂牛病、鳥インフルエンザ、豚コレラなどが蔓延しており、飲食業にとっても物流というのは非常に大事だなと改めて実感したことを今でも覚えています。

日本と結びつきが強く、英語圏、市場規模が比較的大きく、食料自給率も高い国に留学したいなあと考え、北米西岸のバンクーバー、サンノゼ、ロスアンゼルスの中でどこにしようか考えました。

できるだけ長く居られる場所ということで考えていたのですが、当時カナダドルが安くて、バンクーバーであれば1年位居られるかな、アメリカだと8か月位かな、という資金状況だったので、バンクーバーに決めました。

決めた時(2009年)は全く意識はしていなかったのですが、バンクーバーオリンピックが開催されることがすでに決定しており、当時お世話になっていた方々から「日本での飲食業経験もあるし、今だったら、ワークパーミットも簡単に取れかもしれないぞ」と言われ、手続きをしたところ、本当に2週間くらいで2年間のワークパーミットが取得できました。

29歳でバンクーバーに来たのですが、32歳までは自分にいいと思うことはお金を気にせずなんでもやってみようと自分の中でも決めていたので、これはきっと海外で生活してみろと言われているんだなあと勝手に良い方向に解釈し、その会社で働いてみることにしました。

その後、今度は移民権が取れるという話が出てきて、これも資格に近い権利かなと思い、移民権を持っていればビジネスをやれる可能性があるので、その会社からサポートをいただけて取れるのであれば、やってみようと思い、移民権を取得しその後もその会社で34歳までお世話になりました。

35を目前に控え、独立する際にも、いろいろなお話をいただいたのですが、現パートナーと相談の上、やりたいことをやりなさいと言われ、トロントに来ることにしました。バンク―バーでの出店も考えたのですが、同様なお店も多くありマーケットが狭かったんです。
一方、トロントは当時マーケットが急拡大している時期だったので、自分にとっては未開の地でしたけれども、ビジネスとしてはいいのではないかと前々から思っていたので、思い切ってトロントに来ました。

(伊東)自分で人生設計をたて、区切り区切りで実行されてきたことがよくわかりますね。

(高橋氏)最初は、言われてやったことなんですが、やっていたら自然と毎年毎年見るようになり、自分で見直しをするようになりました。そして、その計画通りに進めるように意識するようになりました。その中で一番意識していたのが35歳での独立だったんです。

その間いろいろなことがあったんですが、35歳での独立だけはぶれずに20代半ばから持ち続けていたので、その結果ちょうど35歳の時にこのお店を開けることができ、区切りの目標を達成できたのかなと思っています。そして今は、次の20年の計画を立てており、それに向かってやっていこうと思っています。

(伊東)今のお店を始められるにあたり、苦労された点はどんなことでしたでしょうか。

(高橋氏)はじめは人でしたね。バンクーバーから連れてきて、ある程度任せたいと思っていた人が二人ほどいたのですが、ご両親の健康のことなどがあり二人とも連れてくることができず、結局単身でトロントに来ました。

店舗だけを立ち上げるのは日本で経験があったのですが、今回は会社を設立するということで、会社登記、ライセンス取得、そのための弁護士との打ち合わせなど付帯業務があまりに多く、自身の準備の甘さに反省を通りこして、開き直るしかなかった事思い出します。

従業員トレーニングにも私自身も関わるつもりでしたが、時間が取れず、自分は指示出しをする事が精一杯でほとんど従業員トレーニングにかかわれない状況でした。当初の計画では、現地の方の採用も積極的に考えていたのですが、思いのほか機能しない(働かない)んですね。

蓋を開けてみれば、従業員も結局日本からのワーキングホリデーの人たちばかりになってしまいました。もちろん落ち着くまでのその間、まったくの休みなしでした。

(伊東)それは、どのくらいの期間続いたのですか。

(高橋氏)約半年間くらいですね。

後は、家主との交渉ですね。インド人からビジネスを買ったのですが、かれらの時間の流れがとにかく遅いんです。頼んだことがなかなか進まないんですよ。出してほしい書類がなかなか出てこないんですね。それでも家賃だけは払わなくてはいけないので、このままでは破産してしまうと本気で思いました。

弁護士からはリスク回避のためにこれこれの書類をもらうように指示されるのですが、家主はなかなか出してくれないんです。そんな状況なのに、その家主とは1週間に一度しか連絡がつかないとか、まあ大変でした。

店舗改装については、日本人の方で信頼できる人にお願いし、3か月で終えることができました。工事が3か月、半年遅れたという話をよく聞いていたのでその点では大変感謝しております。

(伊東)先の20年のお話を伺ってよろしいですか。

(高橋氏)ちょっと大きなことを考えており、恐縮してしまいますが、このお店を作ったときに会社名をグローバルフーズという名前にしているんですね。

レストランだけをやるために会社をつくったわけではないので、飲食にかかわる物流や設備にかかわる部分もあり、人材教育があったり、または日本に戻って自分の店を出してみるとか、ブラジルに友人がいるので、ブラジルにも出店してみるかとか、ヨーロッパにも出てみるかとか、そんなことをいろいろ自分の中では10年後という区切りで考えています。

ただ、直近の3年から5年の間、まずはこれから3年でしっかりとセールスを固めて足場をきっちり築いた後、3年から5年の間に3店舗から5店舗くらいまでビジネスを展開していき、そのあとセントラルキッチンをつくって、ラーメン店だけでなく日本のファーストフード系のものをやってみたいと思っています。

ハイエンドのレストランとなると、まだまだ自分に資本が足りないので、まずはファーストフード系のところでブランドをつくっていくのがいいと考えています。その中の最初がラーメンであるという位置づけです。そしてチャーシューなども作っているのでその外販なども5年から10年の間に始められればいいかなと考えています。

その間、日本に出店することも考えています。日本は競争が激しいですが、出店するだけならもちろんこちらで行うよりも難しくない。人材採用や育成などを考えるとかなりポジティブに考えられると思っています。

当然今自分が住んでいるオンタリオもまだまだ広く可能性があると思っています。多くの方がアジアに目を向けていますが、僕は北米でまだまだできると考えています。

(伊東)長期の目標を見据えて、短期、中期を考えているすばらしい計画ですね。

(高橋氏)自分は職業には上も下もないと思っていますが、世間では飲食業は下の職業とみられていると感じています。自分も現場でそのような経験をしてきたので、事業規模を拡大する中で最低でも自身の会社で勤務してくれているメンバーには、待遇面もちろんのこと、社会的な知識を含めた人材育成にも力を入れたいと考えており、今後業界を背負っていける人間になってほしいと思っています。

(伊東)自分の会社だけでなく、従業員のこと、業界全体のことまで考えられている点が素晴らしいですね。最後に、グローバルフーズという社名をつけられたと伺いましたが、その会社を20年後、どのような会社にしたいとお考えですか。

(高橋氏)20年事業計画というのを作っておりまして、常に見るようにしているんです。店舗運営業務、プロセッシング業務、物流貿易業務、店舗設備関連業務、従業員教育設備などを考えています。

さらに、ここに来たときにYMCAのメンバーになり、設備を使用させていただいていたのですが、設立の考え方、地域に根ざしている点などに非常に強い共感を持ちました。将来的にはそうした場所で料理教室とか食育教育といった形で地域に貢献できればと思っています。

掲げていることをゆっくりでも一歩ずつ着実に進めていきたいと思っています。自分のやりたいことをやるために自分の会社を興したわけで、単にお店をやりたいのであれば人の下で働くこともできますし、そのほうがリスクもなく安全です。自身の目標を実現する為には、そういったリスクを負ってでも進みたいと思っています。

もちろん、自分ひとりでは私が考えていることは到底出来ません。会社の経営理念に共感してくれる人をできるだけ多く集めることが重要だと思っています。そのためには、それに見合った給与や教育も行えるように、しっかりとした経営基盤と財務体質を作ることが大切だと考えています。

業界に変化を、飲食人の価値を最大化する!というようなことをやってもらうのに、時給10ドルもいかないのでは将来に夢を描けないですよね。お金や物だけでも、技術や精神的な成長だけでなく、物心両面の側面から成果にに見合ったものを提供できる、そんな会社でなくてはいけないと思っています。

(伊東)飲食業界、レストラン業界で働きたいと思う人が増えるようになってほしいですね。

(高橋氏)根底はそこなのかもしれません。なんで飲食業なの?と言われることが多かったので、なんとかその認識を覆したいという反骨心のようなものがベースになっているような気がします。

(伊東)今日のお話を伺って、そのところを強く感じました。

(高橋氏)従業員がそこで働いて、会社はそこまで考えているんだ、前を見て働こうと思ってもらえる会社にしてきたいと思います。

(伊東)本日はすばらしい経営のお話を伺えました。ありがとうございました。


   
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