リレー随筆


越後上布と義の心

Salon de Tea + Kimono主宰 着付師・着物講師 / 郷土史研究家 / 山本五十六元帥景仰会会員 
プオポロ 浩子


人生における3度目のカナダ滞在が9年目を迎えました。

子供の頃から欧州の文化に憧れ、大学時代には英米文学を学び、その後のアジア、中東での生活ではその豊かな文化に魅せられ、自身の視線は常に海外に向いていました。ところがここトロントで子育てを始め、ヘリテージ教育を大切にするカナダの土壌で、その目が母国日本と故郷の新潟に向けられるようになりました。

現在は、私にとって一番身近な日本文化である着物を事業として立ち上げ、着物を通して日本文化を紹介する日々を過ごしています。

我が国越後は、米どころ、酒どころ、そして知る人ぞ知る着物どころであり、また、日本海の荒波と深雪の恵の中で、上杉謙信、良寛、山本五十六といった偉人が育まれた土地であります。米の生産量、米菓の生産額、酒蔵数が日本一ということは言わずと知れたことでしょう。

着物に関しては、UNESCO無形文化遺産に登録された「越後上布」「小千谷縮」を生産する南魚沼市、小千谷市をはじめ、「染」「織」両方のタイプの着物を年間約13万点生産する十日町市、日本三大白生地生産地である五泉市では、夏着物地の絽や紗、特に高級羽二重地の生産は日本一を誇るなど、日本の着物産業の屋台骨を支えています。

越後国より朝廷に献上された「越布」が正倉院に納められているように、越後における織物の歴史は古く、飛鳥時代までさかのぼります。「越後上布」というのは青苧を原料とした麻織物で、木綿が普及するまでは布と言えばこの麻布でした。室町時代に幕府の公服の生地として用いられるとその需要は一気に高まりました。

戦国武将として名高い上杉謙信は、青苧の生産と栽培を奨励し、越後に日本一の巨大な繊維産業を育て上げ、流通を独占することで莫大な富を手に入れました。この潤沢な軍事費で武田信玄や織田信長をも震え上がらせた最強の上杉軍を作り上げたのです。

越後の龍は戦に強いだけでなく、商売上手だったというのも面白いですね。謙信公が死の際に残した家訓「義の心」は上杉家が移封され越後の地を離れても受け継がれました。

現代の厳しい市場経済社会の中 で、利だけを追い求めがちな私たちに、足るを知り節度を求め、バラ ンス感覚を保つことを教えてくれるのが江戸時代後期の僧侶、良寛です。

歌人、漢詩人、書家でもある良寛は、裕福な名主の家に生まれましたが、救いのない人の世を儚み出家しました。幾年にもわたる厳しい修行を終えた後に越後に戻り、生涯寺を持たず、自らの質素な生活を示す事で、庶民に解り易く仏法を説きました。その姿勢は民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになりました。

この二人を敬愛してやまなかったのが、山本五十六です。軍人としていち早く石油・航空機の重要性を説き、国際情勢をつぶさに見つめ、日独伊三国同盟に体を張って反対しながらも、日米開戦に至っては連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を指揮しました。しかし願っていた「講和」を見ることなく南溟にて戦死しました。

「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」

経営者や管理職の方でこの言葉を知らぬ人はいないと思います。これは山本五十六の言葉ですが、元は「義の心」を受け継ぐ米沢藩主の上杉鷹山の教えから来ています。藩の苦しい経営を立て直した人物として、これもまた現代の経営学の手本になっていますね。

しなやかで美しくそして強い麻織物は、剛柔併せ持つ越後人の気質そのもの。越後上布と義の心、先人が大切にしてきた文化を次世代に伝えていきたいと思っています。








この号の目次へ戻る   「リレー随筆」記事一覧ページへ