リレー随筆


お茶のあるくらし

日本茶専門店MomoTea
オーナー 吉田 桃代


吉田桃代と申します。日本茶のオンライン販売をしておりますが、日頃は会社員をしております。業種は貿易実務です。貿易の仕事に携わって、かれこれ20年近くがたちました。また、お茶屋のオーナーとして、二束の草鞋生活をスタートして、今年で4年目になります。

私が扱っている種類は煎茶、玄米茶、ほうじ茶、抹茶などの日本人の方にとってはお馴染みの日本茶です。
扱っているのは日本茶ですが、紅茶も中国茶も好きです。好きなことを極めたいという思いから、まだ副業のビジネスをスタートする前に、会社帰りにカレッジへ通い、ティーソムリエの資格をとりました。2010年のことです。

ティーソムリエコースで学ぶ内容は多岐にわたり、産地や種類はもちろんのこと、歴史やお茶にまつわる文化、フードペアリングなど様々です。味の違いを知るために授業毎に、様々な種類のお茶のテイスティングをしました。

会社帰りに、自分の 好きな分野の知識 を深めるひと時は、本当に楽しく、贅沢な時間でした。また、同じ興味をもつ仲間に出会えたのも大きなメリットでした。その時に出会った友人達とは「生涯の友人」と呼べる人たちです。国籍、年齢や性別を問わず、お茶が繋いでくれた縁に感謝する日々です。

お茶は、ワインと似ていて、産地や気候、その年の出来具合によって味が違ってきます。お茶のことを勉強する者の醍醐味は、各産地の味や特徴をつかみながら、自分の好みの一杯を追求することのような気がします。

例えば、私が好きな静岡県川根のお茶ですが、川根は静岡でも山間部に位置しています。山間部で育ったお茶は甘みが強いのです。同じ静岡でも平地で育ったお茶と、山間部で育ったお茶では味に違いが生まれます。

ご存知の方も多いと思いますが、全てのお茶は、カメリア・シネンシスという同じ茶木からなります。それが製造方法によって、紅茶、中国茶、日本茶と違う種類のお茶に姿を変えるのです。ところかわるだけで同じ茶葉がその産地によって姿・形をかえて、それぞれのローカルの人々に飲まれ、継がれていることに、私はお茶のロマンを感じます。

またその種類は無限大で、土、気候、製造方法、様々なコンビネーションによって、最終的に「お茶」として人々に飲まれるのです。常々思うのですが、どこが一番、とかそういうレベルの話ではなく、自分の好みの味は人それぞれ違い、自分の好みの味が、自分にとってのベストのお茶なのです。

私は関東出身ですが、実家では静岡産のお茶を好んで飲んでいました。なので私にとっては静岡の日本茶が「馴染みのある」ほっとするお茶なのです。でも、例えば九州地方で育った方は、静岡のお茶より、鹿児島産のお茶が、同じ煎茶でもしっくりくるようです。

産地の違いによる味の違いが際立つからこそ、一杯のお茶が人に与える印象は大きいような気がします。お茶を飲んでほっとする瞬間、お茶と一緒に故郷の風景まで思い出させてくれる、と思うのは私だけでしょうか。
美味しい大福に香ばしいおせんべいをバリっとかじりながら、お茶をすする瞬間、日本人でよかった…と心から感じる瞬間でもあります。

私は店舗をもたないので、一年を通して、日本やお茶に関係するイベントへブースを出店していますが、先日はミシサガ市で開催されたジャパン・フェスティバルに出展しました。

多くの方が訪れ、たくさんの良き出会いがありました。印象に残っているのが、若いワーホリさんと思われる男性が、水出し煎茶を飲んで、「懐かしい」「ほっとする」と何度も言ってくれたことでした。「カナダで缶で売っているお茶は甘味料が入っていて、シンプルでストレートな日本茶を久しぶりに飲んだ」と喜んで下さいました。自宅でも簡単につくれるんですよ。とお勧めしてみましたが、結局その方は茶葉は購入されませんでした。

そこでふと感じたことは、忙しい現代、日本に住んでいる日本人でも、急須を使ってお茶を自宅で淹れることは少なくなったのだな、と。美味しいペットボトルのお茶も出回っており、あえて手間暇かけてお茶をいれなくても事足りているといった現状なのかもしれません。

身近なところでも、そういえば先日 日本へ里帰り時、友人がペットボトルのお茶をレンジで温めて出してきたのでびっくりしました。

ただ、忙しい日常だからこそ、私はあえて、急須と茶葉でお茶を淹れるそのひと時を大切にしてもらいたいと思います。急須からそそがれる美しい水色を眺めつつ、目を閉じて香りをかいでみて下さい。きっと張り詰めた神経がふわっと緩み、そこにある癒しの空間が生まれると思います。

私は趣味で茶道も習っていますが、茶道をしていると禅語も勉強します。

禅語の中で、閑坐聽松風(閑坐(かんざ)して松風(しょうふう)を聴(き)く)という言葉があります。心静かに座り、松の間を通り抜ける風の音を聴く。

お湯が沸かす様子を茶道では「松の音」にたとえるのですが、茶の釜の煮える音に雑念を捨て耳を傾けると、心が急いでみえなかったものがみえてくるような気がします。季節を愛でながら、いっときいっときを大切に、忙しい現代人だからこそ、心にとめたい禅語のひとつだと私は思います。

私の実家は伝統文化を大切にしており、物心ついたときから筝曲、華道、茶道が身近にありました。ただ、日本にいた頃の自分は、これらがあまりにも身近にありすぎて、本格的に取り組んだことがありませんでした。
今思うと惜しいことをしました。

カナダにきて、新しい視点から、日本茶に出会い、茶道も初心者として先生について習い始めてから早7年がたとうとしています。習えば習うほど、一生かかっても習得することはないのではないか…というお茶の奥深さを肌身で感じる日々です。

お茶を通して、自分のルーツを改めて感じると共に、私はカナダにいながら、日常のどこかに「日本」を求めているのかもしれません。

私は、本業、副業、妻業、母親業と、いろんなことをかけもちし日々慌しい日常を送っていますが、だからこそ、一杯のお茶をいれる、そのひと時に最大の魅力と喜びを、無意識のうちに見出しているのかもしれません。

まだまだ学ぶことはたくさんあり、日々精進の毎日ですが、人生一度きり。お茶がもたらしてくれた出会いと、新たな世界に感謝しつつ、これからも身の丈レベルで細々と続けていこうと思っています。このコラムを読んで、棚に眠っているお茶をひっぱりだして、一杯いれてほっとしてくれる方がひとりでもいたら、嬉しく思います。






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