リレー随筆


ホッケーへの感謝と恩返し
MUFG銀行 加藤 直哉


私とホッケーとの出会いは大学入学時。小中高と剣道一筋。引き続き大学でも体育会で何かしらのスポーツを続けたかったが、心機一転団体競技かつ大学からでもレギュラーを狙えるクラブを探していたところ「新チーム結成!」との立て看板と、所謂氷上の格闘技ということで何となく剣道との共通点を感じたことから、あまり悩まず部室の門を叩いたことがきっかけだった。

聞けば新チーム結成とは名ばかりで体育会スケート部の中にアイスホッケー部門として5名の有志が集まり、近所の社会人チーム(川崎製鉄スティーラーズ)の練習に週一度お邪魔する形でスタートしたばかり。

ホッケーはゴールキーパーを含め同時に6名が氷に乗るのだが、実はゴールキーパーも不在で最低人数も集まっていない状況!ただこの年私を含め新入部員10人が加わり、週1回の独自の貸切練習を開始。

2年目には後輩も10人入部し、2年次の後半には関東学生リーグに新規加盟。インカレ予選にも初出場。氷上練習の回数も週2回+社会人チームとの合同練習1回と他大学にも引けを取らない練習量を確保。

その年には元古川電工(現日光アイスバックス)で活躍され現役引退後スティーラーズで趣味程度にプレーされていた引木氏に三顧の礼で監督を引き受けて頂く等、自身のホッケープレイヤーとしての成長と同時にチームとしての成長を味わうことができた。

自分自身はというとクラブの初代ゴールキーパーとして範となる先輩も不在で、それこそ見よう見まねで練習を開始。それでもゴルフと一緒で、たまにあるまぐれ当たりのファインセーブに味を占め、少しでも氷に乗り少しでもシュートを受けて上達したいとの思いが強くなった。

大学での練習以外に、スケートリンクでの監視員のアルバイト、他大学の練習に参加しての武者修行、また下宿から電車で2時間の実家近くの社会人チーム(ハマホッケークラブ)の練習にビジター参加するなどで練習時間を確保。

こうした経験から(実力はさておき)、いつの間にか先輩を凌ぐホッケー通となり練習メニューを考案するなどの実績(?)が評価され、3年次には主将に就任。就職氷河期と呼ばれた時代でも比較的スムーズに内定を得ることが出来たのは、主将経験やチーム成長への体験談がOB受けしたことに他ならない。

ところで日本でのホッケーは国技とされるカナダとは対極にあり「超」がつく程のマイナースポーツ。防具代やリンク代にびっくりする位お金がかかるもの。特にキーパーの防具はプレーヤーの何倍もする始末。

当時の私に当然そんなお金は無く、防具は親しくしていたホッケーショップにて頭金無しの全額後払いで購入。棚卸しなどショップで人手が要る時はバイトさせて頂きバイト代を防具代の返済に直接充当するという食い逃げ皿洗い的なファイナンススキーム(笑)で4年間かかって卒業前にやっと返済を終える事が出来た。

ホッケーを愛するショップの社長は、近隣の大学にホッケー部ができたことを我が事の如く喜び、私を筆頭に貧乏な学生たちを家族ぐるみで支援頂いた。結局在籍中には関東学生リーグにおける最下部リーグからの昇格は果たせなかったものの、4年間継続でき、まがりなりにもチームとしての礎を築くことが出来たのはこうした方々の支えがあったのものと感謝している。

就職後は20代の8年間を前述のハマホッケークラブでプレー。30歳で初の海外赴任先となった香港は、南国にも関わらずカナダとの縁が深い土地ということもあってか意外にも日本以上にホッケーが人気。環境も充実しており、日本人チームのマイナーリーグとカナダ人中心のトップリーグを掛け持ちした。

平日を含め週に2~3回の試合出場をベースに、時にはタイ遠征や日本の出身チームを招いてトーナメントを開催するなど、ホッケーのお陰で非常に充実した6年間の駐在生活を送ることができた。
香港でのホッケー仲間とは今でも定期的に近況を報告しあっている。

香港からの帰国後は仕事も忙しくなり家族も増えたことから、防具は物置で出番無し。2015年にニューヨーク駐在の辞令を受けての引っ越し前に、もう二度とプレーすることはないだろうと防具を大学の後輩に寄贈した。

但し、人生とはわからないもので、ニューヨークは短期駐在ですぐ帰国と疑っていなかったところ2017年4月に思いがけずトロント行きを拝命。この年は、カナダ発足150年であっただけではなく、NHL(北米プロホッケーリーグ)発足、およびトロントメープルリーフス誕生100年というアニバーサリーイヤー。

これはホッケーの神様の思し召しと信じ、着任後間も無く防具を再購入。お誘い頂ける素晴らしい仲間にも恵まれ現在週1回心地良い汗を流している。営業先でカナダ人顧客とホッケー談義で盛り上がるのも楽しみの一つだ。

また今年5年生になる次男も近頃ホッケーを開始。まだスケートもままならない状況ではあるが、今の所楽しんでいる様子で、この冬には親子で一緒に練習するという得難い幸運にも恵まれた。今後私がプレーできる時間は限られているが、是非息子には日本でもホッケーを続けて欲しいと応援している。

プレーか観戦かを問わず息子を含む若い世代にホッケーの楽しさや得られるものを伝授していくこと。
もしかしたらこれが私にとってお世話になったホッケーへの恩返しなのかもしれない。




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