「こんにちは!」新代表者紹介インタビュー




 <第162回>
(個人会員)木村 重男
 銀杏/Ginko Japanese Restaurantオーナー


個人会員としてご入会頂いている、銀杏ジャパニーズレストランのオーナー、木村氏にお話を伺って参りました。銀杏レストランは、トロント国際空港近くにあるDelta Hotel by Mariott 内にあります。

木村さんが来加されたのは、1973年。現在のトロントの日本人コミュニティの礎を築かれた方の一人です。最初にレストラン業に携われた1970年代後半¬¬、1980年代のお話や、今後日本食を普及するための構想、プライベートでは、60年以上続けていらっしゃる剣道のお話など、大変貴重なお話をたくさん伺ってきました。



(松田)御社の事業内容のご紹介をお願いいたします。

(木村氏)銀杏(ぎんこ)という日本食レストランの経営と、日本酒の輸入業を行っています。レストランの設立は1984年で、今年で33周年です。社員数は現在15名です。

(松田)銀杏さんは、最近お店のリノベーションを行われたとのことですが、どのように改装されたのでしょうか。

(木村氏)ここの立地に移動してから20年が経ちますので、雰囲気を変え、より多くの皆様に様々な用途でご利用いただけるようにと、先月リノベーションを行いました。カーペットを木の床張りにし、お店の半分をパーティールームとしました。また寿司バーをアップグレードし、酒バーを設、できるだけ明るく、オープンそしてシンプルにしました。パーティールームは45名程収容でき、鉄板を内設しています。

パーティールームとしての使用のみではなく、日曜日にはそこでブランチバッフェを行おうと計画しています。手作り豆腐や手作りの燻製ものなど、我々独自の料理を中心に提供したいと思っていますので、是非お越しいただければ嬉しいです。

(松田)お酒の輸入業についてもお聞かせいただけますか。

(木村氏)お酒の輸入については、まだ取り扱っている種類は多くありません。私の知り合いに日本で酒蔵を営んでいる人がおり、カナダの銀杏レストランで是非出してみたいとのきっかけで始めました。

そのお酒が大変美味しくて、しかもお寿司によく合うんですね。銘柄は秋田県の地酒「大平山」です。うち「天功」というお酒はモンドセレクションで何度も金賞を受賞しました。こちらの会社は、元々味噌やお醤油を作っており、銀杏ではそこから味噌も輸入して使用しています。

(松田)設立から33年と、トロント地区の日本食レストランとしては大変長い歴史をお持ちですが、今後はどのような展望をお持ちでしょうか。

(木村氏)レストラン経営とは直接関係ないのですが、現在、日本食の啓蒙活動に奮闘しています。日本の農林水産省と、JRO(日本食レストラン海外普及推進機構)より、海外で質の良い日本食を残してほしい、啓蒙して欲しいという要望がありました。私は2年前に日本食普及親善大使に選ばれたこともあり、何かしなければと考えていたところ、この地に質の良い日本食を残すためには、“人材を育てること”が必要だ、という結論に達したんです。

現在、日本食レストランや居酒屋は大変増えておりますが、一番肝心な“人”が足りていないんですよね。これまでは、料理人へ移民をサポートしたり、ワークビザのスポンサーになったりと、カナダ在住のステイタスをサポートすることができましたが、移民法の改正によって大変難しくなりました。

そのため、当地にて有能な料理人を育てることが大切です。人材を育てるために、日本食専門の料理学校や料理教室を作らなければならない、ということが今の構想です。只、それをどのように進めどのように根付かせていくのかというのが課題です。

現在、トロントにある料理学校に、日本食に特化したコースを取り入れてもらえるように働きかけています。只、どのような形で日本食の基礎を勉強してもらうかという資料がありませんので、日本の辻調グループや服部学園などの料理学校と提携して、情報を得ることができないかと試行錯誤しています。

講師は、私も所属するカナダ日本レストラン協会(JRCA)のメンバーが、寿司、懐石、ラーメン等カテゴリーに分けて務めることができます。この構想は、トロントにある料理学校カレッジの受け入れ態勢が整えば可能ですが、我々には予算も知識もないため、アイデアを出してサポートをするのみとなってしまいます。学校がどれだけ本気で取り組んでくれるかというのは我々の持って行き方だと思いますが、なかなか難しいです。

また、日本的な料理法を一から教えていくことは本当に大変ですので、例え日本料理のコースを開講できたとしても、試行錯誤が続くことと思いますが、質の高い日本食啓蒙の為に、何とか実現したいですね。良い和食を当地で普及させたい、というのが私を始めレストラン協会の皆が思っていることです。料理学校の開校、または人材育成等のために、皆様の協力を得ることができれば大変ありがたいです。

(松田)今後長いことトロントで美味しい日本食を食べることができるように、是非実現して頂きたいです。木村さんのご経歴についてもお伺いしたいと思いますが、ご出身はどちらですか。

(木村氏)出身は宮城県石巻市です。昔は捕鯨で有名なところでした。私が小さい頃は冷蔵庫などなかったので、50円を持って漁師のところへ行き、「魚ちょうだい」と言うとバケツ一杯に色々な魚を入れてくれました。魚介類は大変豊富で、肉というとクジラの肉しか食べたことがありませんでした。こちらで鮮魚を扱うレストランをやっているのは、何か関係があるのかなと感じます。故郷といえば、私の母は味噌等いろいろなものを手作りしていましたので、そういった日本の伝統的な食文化をカナダに残していきたいですね。

トロントに来たのは、1973年です。大学を卒業してすぐに、こちらで道場を持っている先生にスポンサーをしてもらい、剣道指導者として来加したんです。剣道だけでは飯は食えないことは始めから分かっていましたので、昼間はガーデナーを始めました。

大学の先生に、カナダに移民することになったと伝えたら、「国境を越える時は楽してはいかん」と言われたため、飛行機のチケットをキャンセルして貨物船で来たんです。それが大間違いでした(笑)。私は船に弱いんです。バンクーバーに着くまでの2週間、ずっと船酔いで、20キロ以上体重が減りました。本当に辛かったですが、それだけの思いをしてまで来たカナダですし、それが私の原点を作ったかなと、今では先生に感謝しています。

(松田)20キロ以上体重が減ったなんて、想像が出来ないほど辛い思いをされたんですね。レストラン設立の経緯をお聞かせいただけますか。

(木村氏)1978年に、Eglinton x Avenueにあった笹屋というレストランのパートナーとして始めたのが最初です。その当時はトロントに5軒ほどしか日本食レストランはありませんでした。最初は焼鳥屋を始めようと思ったのですが、当時ニューヨークで寿司が大変ブームだという情報をつかんだため、私のパートナーがニューヨークに視察に行きました。

すると本当に面白いように繁盛していたということでした。そこで、そのパートナーは友人のつてを頼り、住み込みで2週間寿司屋について勉強し、焼鳥屋に寿司バーを設けることになりました。

開店すると、ローカル新聞に記事が載ったりと大変評判を呼び、お店の前には毎日のように100メートル程の行列が出来ていました。40席程のお店が3回転していました。握る方が遅かったのもありますが、お寿司を食べるのに2時間待ちで、それでも並んでくれていたんです。

私はその時昼間はガーデナーをやっていたので、夜のみお店に入っていたのですが、レストラン業というのはこんなに面白いのかと驚きました。その当時の日本食レストランはほとんどが食堂、といった感じで、うどんや丼ぶりものなどの簡単なもののみを提供していましたが、我々が寿司を始めた後にお寿司屋さんが徐々に増えていきましたので、我々がトロントで寿司を始めた第一人者だと思います。

そして1984年に銀杏をオープンしました。その当時は日系企業が大変勢いがあり、1社につき30~40名程の出向者がいる会社が多数ありました。その方たちに日本食を提供するために、空港近くのミシサガにお店をオープンしたんです。お店はオープン直後から大盛況でした。

(松田)当時は生魚を食べることを受け入れられないローカルの方も多かったと推測しますが、成功の秘訣はなんだったのでしょうか。

(木村氏)当時からEglinton Ave & Avenue Rdの近くにはユダヤ系の方が多く住んでいたため、ユダヤ系の方々が起爆剤となったと思います。またニューヨークで既にブームが起きていたこともありますね。

我々は、寿司については素人だったにも関わらず、たまたまその立地を得ることができ、たまたまトロントに初めての寿司バーをオープンすることができ、たまたま寿司ブームに重なることができたために、成功することができました。決して自慢話ではなく、運に恵まれたというのが正直なところです。今は多くのものが簡単に手に入る世の中ですので、こういったことはなかなか起きないですよね。

(松田) 当時は、食材はどのように仕入れていたのですか。

(木村氏)バンクーバーやニューヨーク、ボストン経由でローカルの魚屋さんに卸されていたものを仕入れていました。当時ケンジントンマーケットには20軒ほど魚屋があったので、それらを一店一店回り、良いものを仕入れていました。

ただローカルのお店では、魚というのは臭いがあるというのが当たり前でしたので、冷凍ものを使うことも多かったですね。また、どうしても同じような種類になってしまいましたが、それでもお客さんが喜んでくれたのが嬉しかったですね。銀杏を始めた80年代後半頃からは、魚を取り扱うお店も増えていましたし、空輸でかなり良いものを手に入ることができました。

(松田)これまでレストラン業をされていて、一番印象に残っている出来事についてお話いただけますか。

(木村氏)2005年にケベックにお店を開いたんです。200席ある大きなレストランでした。私はカナダが好きで、ケベックにも何度も行っていましたが、ろくな日本食レストランがなかったんです。

フランスでは日本食が大変人気で、多くのフランス人が日本食を愛してくれています。それなのに何故フランスの血を引いたケベックの人々はこんな日本食で満足しているのだろう、と不思議に思い、それなら私がやってみよう、という単純な発想だったんです。そして子供達にやらせてみようと、2005年4月に“GINKO Restaurant Japonais “をオープンしました。

丸4年間行いましたが、正直なところ難しかったですね。夏場は大きなフェスティバルもありますし観光客も多いので、200席あるお店があっという間に埋まってしまうのですが、冬になると驚くほどにガラーンとしてしまって、5、6名しかお客様がいないという日が何日もありました。

また我々はフランス語がしゃべれませんでしたのでマーケティングも不十分で、そして、「フランス語もしゃべれないのに何でケベックまで商売に来たんだ」と地元の人達にも好かれませんでした。私はその時にカナダの歴史に関する本をたくさん読み、すごく勉強しましたが、やはりケベックでは、イギリスとフランスが争った歴史的な背景が未だ大きく影響しているんですね。

それでも少しずつ状況は良くなっていったのですが、2008年のリーマンショックでトロントの売り上げがガクンと下がってしまった為に仕送りができなくなり、ケベックのお店は2009年5月に閉店することになりました。

その後の始末が大変でしたね。多くの負債を抱えていましたから、それを色々な形でなるべく穏便にできるようにと試行錯誤して、どうにか昨年全てを完済しました。失敗をしてしまった経験ですが、今では大変良い勉強になったと思っています。

(松田)数々のご経験を積まれた木村さんが、お仕事を進める上で大切になさっていることはどのようなことでしょうか。

(木村氏)基本的に美味しい食べ物というのは“人”しか作れないんです。食べ物が好きな人、食べ物に興味がある人。その上に6感(頭、手、足、目、鼻、口)ををフルに使いその仕事を楽しみながら出来る人となります。但し人間一人の力は限りがあります。自分一人でできる商売ではありませんので、必ず誰かのサポートが必要ですが、特に心の通じ合う仲間がいると仕事が楽しく美味しい物が出来ます。

そんなわけで、心がけていることは、和のチームワークを作ることです。そしてそれが一番難しいです。特に食べ物というのはその場でお客さんに簡単に良し悪しが分かりますし、ただ良い食材を使って良いものを作るだけではなく、どういう気持ちでその人達が働いているのかによって、提供するものに違いが生じてしまいます。
しかし馴れ合いではいけませんので、私は従業員のチームワークに非常に気を使うと同時に、厳しくもしています。一線を引いた中で上手くチームを纏めるというバランスは難しくもありますが、今後も一番に心がけていかなければならない点ですね。

(松田)プライベートについてもお伺いしたいと思いますがご趣味はなんでしょうか。

(木村氏)剣道を6歳から、60年以上やっています。趣味というよりも、身体に染み付いてしまっているので、やらないとストレスになってしまうんです。自分の道場を、トロント、ミシサガ、Ryerson大学の3箇所に持っています。全ての道場をアシスタントが中心に運営しておりますが、週に1度は私も全ての道場に行くようにしています。

 
 1994年 世界剣道大会 監督 フランスにて


段位は、現在7段です。今年の5月に京都へ6回目の昇段試験を受けに行きましたが、また落ちてしまいました。8段への昇段試験は毎回2200名くらい受験するのですが、合格するのは13名ほどで、1%にも満ちません。皆何十回も挑戦するため、6回目というと「まだまだ」と言われますので、それを聞くと少し安心します(笑)。また11月に東京に7回目を受験しに行こうと思っています。

(松田)8段というのは本当に狭き門なんですね。チャレンジをし続けるお姿も素晴らしいです。

(木村氏)せっかくここまで続けてきましたので、どうしても取りたいんですよね。幸いレストラン業で生計は立てられているので、自分のために何か形に残すことができれば、少しは人生面白くなるかなと思っています。

(松田)トロントエリアで木村さんに剣道を教えてもらった方達は何千人といるんでしょうね。

(木村氏)過去を含めるとそうですね。現在は、トロントの道場で60名、ミシサガ道場で30名、ライアソンで30名くらいの生徒がいます。

でもお金にならないんですよね。面白いことに、剣道というのはやればやるほどお金が出て行きます(笑)。でもそれが良いんだと思います。お金が絡んでしまうと、平等に扱うことができなくなってしまい、純粋に剣道を楽しむことができなくなります。

剣道をオリンピック競技に、という声もありますが、実際剣道をしている者たちは、誰も賛成しませんね。剣道は技よりも、心の持ち方や、今後どのように生きていくか、といった精神面が大切で、剣道を通して自分を鍛え直しているんです。

ですから、お金に換算してはいけない、お金に換算できない価値もあるんだ、ということを昔から教わっていました。例えば、会費が払えない生徒がいたら、昔だったら代わりに家で採れる農作物を持ってきたり、それもなければ雑巾掛けなどの労働をしたりとしていました。今も時々、教室に3ヶ月間会費を納入していないという人がいて事務方に相談されますが、「それでも剣道が好きなら続けさせてあげれば良いんじゃないか」と思ってしまうんですね。

(松田)貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございます。最後になりますが、商工会会員へメッセージをお願いいたします。

(木村氏)先にも申し上げましたが、どうにかして良い日本食をこの地に残していきたいと奮闘しております。商工会の会員の皆様からも、そのためのご意見を聞かせて頂いたり、何らかの形でご協力をいただければ、大変幸いです。

もうひとつお願いがあります。2021年に世界剣道選手権大会をトロントで計画しております。
今までにないカナダらしい世界大会にしようと考えております。是非商工会会員の皆さんにスポンサー協力および観戦をしていただければと思います。

(松田)インタビューは以上となります。本日はお時間をいただき、ありがとうございました。


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