リレー随筆



「待つ」

書家 前田 典子


仕事柄、いろいろな文字を書きます。
「待」は一文字の中にいろいろな含みがあり
何を待つのか、誰を待つのか
待ち人は来るのか、来るはずのない人を待っているのか…
その情景や心情が思い浮かぶ妙味のある文字です。

一年に何度も空港に人を出迎えますが、その「待つ」時間が私は好きです。
到着のインフォメーションを眺めながら人々の「待ち人来る」のドラマを感激しながら眺めています。
バラの花一輪握りしめて恋人の到着を待つ人、
孫の到着を今か今かと待ちわびるおじいちゃんとおばあちゃん、
レイキャビクからの便とカリブ海からの便が同時に到着した時の人々の帽子や髪型、服装のバラエティ、
到着を待つ人々の声のトーンや表情の違い…

「待ち人来る」のその瞬間、人々の喜びや華やぎが空港の到着ゲートには溢れています。

写真の短歌は
「来ぬ人を まつほのうらの夕凪に やくやもしおの 身もこがれつつ」
百人一首の選者、藤原定家の歌です。
淡路島北端にある松帆浦の「松」と「待つ」が掛詞になっています。
漢字で書くと「来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ」
現代語訳は「来るはずのないあなたを待ちながら 私の心は海の水を含ませた藻を焼いて塩を作る藻塩のように恋い焦がれています」

来る人を待つ空港の景色とは違い、来ない人を待つ風情はなんとも切なく、情緒があります。

室町時代、世阿弥の記した「風姿花伝」の一節に「男時女時・おどきめどき」という言葉があります。
古来、能楽はそのパフォーマンスの出来栄えを競い勝負をしました。
いかに頑張っても、どうしても対戦相手の勢いにかなわない時があります。
時運を得た「男時」はその波に乗り、その反対の「女時」は時を凌いで研鑽を積み次のチャンスを待つ、
そんな駆け引きの機微を伝える言葉が「男時女時」です。
この言葉は能楽の世界のみではなく「時流を待つ」「好機到来を待つ」という世阿弥からの人生訓のように感じられます。

「洋の東西を問わず」と言いますが、太平洋を西と東に隔てた日本とカナダでは「待」のニュアンスも少し違う気がします。
日本に暮らしていた頃は、春の桜を心待ちにし、お正月を指折り数えて待っていました。
カナダの暮らしが長くなるにつれ、「待」対象が変わってきました。
美しい秋の紅葉が終わり、あたり一面冬木立になった時、冷たい空気の中に初雪の舞うのを待つ、
ハロウィンが終わると、途端に流れ出すクリスマスソングに思わずウキウキし、街並みや家々のクリスマスデコレーションに心が躍り、遠くに暮らす娘たちの帰ってくるクリスマスをワクワクしながら待つ、
いつになったら消えるのかとため息の出そうな雪景色の中に、ポツンポツンと黒い土の色を見つけ、けなげに咲くスノードロップの花を待つ、
昨日まで冬だったのに、「趣がない」と不本意に思いながらも、クロッカスが咲きチューリップが咲きレンギョウが黄色い花を咲かせ、突然やってくる春のような夏のような季節の変わり目をちょっとはしゃいで待つ…

今年も木蓮が咲く季節の訪れを待つこの頃です。

前田典子 書家
www.norikomaeda.com



この号の目次へ戻る   「リレー随筆」記事一覧ページへ