リレー随筆




カナダで自分ができること

フィットネスインストラクター 中村 直子


2000年にカナダに独立移民の申請が通り、カナダに引っ越してきました。 カナダに初めて来たのは、1994年に私の母校の日本の大学と姉妹校関係にあったサンダーベイにあるレイクヘッド大学で、日本人向けの夏のプログラムに参加した後、交換留学生として、一年近く過ごした時でした。

その時に、とても心温かく接してくれた周りのカナダ人達、また、他人の事に気を掛けず、それぞれ個人の自由、個性を尊重する寛大さに感動し、この地を自分が生きていく場所にしたいと心に決めました。

元々、日本では、自分は昔から「黒羊=変わり者」であると感じていたので、カナダの社会が自分の肌にあっていると感じたことも大きな理由だったと思います。 ほぼ地球の反対側に位置し、日本の文化と大きく違う異国に独りで移り住もうと思う島国に住む日本人は、変わり者しかいないでしょうね(笑)。

大学卒業後、ワーキングホリデービザで、トロントに1年間住むことにしました。 当時は、日本からの観光客がトロント、ナイアガラに訪れることが多く、ワーキングホリデービザでカナダにやってきた若者たちの多くがツアーガイドの職に就きました。私自身も慣れないツアーガイド職に就き、苦労をしました。

結局、カナダのセーターを売るお土産やさんで職を見つけ、小さなトロント支店を任されることになりました。 接客の仕事も自分に合っているとは言えませんでしたが、ビザが切れるまで続けることができました。

その後もカナダにい続けたい気持ちは大きかったのですが、移民としてのステータスを得ることはそのまま居続けてもほとんど可能性がゼロに等しかったので、諦めて日本に帰ることにしました。

ワーキングホリデービザで滞在していた周りの知り合いの多くもこのままカナダに移民したく、どうしても日本に帰るのを拒んでいました。 そのまま学校に行き、学生ビザを取得したり、許される限り滞在ビザを申請していた人達もいました。

いつか絶対にカナダに移民として帰って行くぞと心に決めて、地元名古屋市周辺で、カナダの移民局が移民申請に必要なポイントが付いている職を探すことに専念しました。

当時はなぜか、秘書が一年の経験につき5ポイントも貰えましたが、秘書を雇う会社は、探してみた所、一件もなかったです。それよりも先に、繊細さにかけている私には向いていない職でした。

辿り着いた職は、タイヤを国内で購入し、海外に輸出するという小さな輸出商での仕事でした。 ここで1年ほど働いてから、豊田の子会社である海外の豊田の工場に必要機器、その他色々な備品を輸出する業務をしている会社に転職する機会がありました。 そこでも、購入、輸出業務を主に担当し、カナダには、「Buyer」として、個人移民の申請をしました。

そして、2000年に念願の永住権取得を果たして、トロントやって来ました。 日本にいる間は、カナダに来たい、何があっても何を犠牲にしてでもという強い気持ちばかりが先を走っていたかもしれませんが、移民してからが本当の苦労の始まりだろうという覚悟も忘れない様に心がけていました。

実は、それが正解でした。 また、孤独感にも耐えていかなくてはいけませんでした。 それは、独立移民してきた人達であれば、誰もが経験することだと思います。

こちらに来てから色々な職に就きました。 どれが自分に適している職か分からず、選り好みせずに雇ってもらえる所で働こうという少しサバイバルな気持ちも強かったと思います。 頼る人が誰もいないという危機感も感じていました。

でも、振り返ってみて、いつも初めに思うことは、あぁ、夢が叶って良かった。 やっと念願のカナダの地にいたいだけいられると、そんな境地でも、幸せを噛みしめることができました。 だから前に進み続けることができたのだと思います。

色々な職を経た後、夫との出会い、3人の子供の出産、子育てを経て辿り着いたのは、フィットネスインストラクターの職でした。 3人目の子がやっと少し手が離れてきた頃に何年間も趣味として続けてきたズンバの免許とフィットネス協会の免許を修得することができました。

毎日スポーツクラブに通っているし、なら、いっそうの事、自分で教えてみればいいのにという理論から思い立ったのがきっかけでしたが、やはり職となると、今までの様に趣味として気楽に楽しむということはできなくなるということをよく学びました。

いつも参加者側からの客観的な視線で、クラスを進めて行く事が一番の大切なことになりました。 せっかくこのクラスのためにわざわざ出てきてくれたのだから、沢山汗をかいてもらって、できるだけ楽しんでいってもらえれば、ということをいつも念に置く様にいつも心がけています。

それでも毎回毎回が素晴らしい出来具合になるとは限りませんが…。 そこがこの職の難しい所だと思います。 自分ばかりが頑張ろうと必死になるのではなく、参加者の人達のエネルギーと一致合体しないと良いクラスができないんだなと痛感させられます。

現在は、ズンバだけではなく、一般/ 老人向けのフィットネスクラス、そして、アクアフィットも教えています。 いつも新しいことを「学ぼう」という気持ちを忘れさせない所がこの職の良い所かもしれません。

まだまだ学びことが山の様にあり、延々と続く様な気がします。でも、やっと自分にチャレンジをすることができ、やり甲斐を感じる職に出会えたような気がします。 特に、参加者の方々のクラス中の笑顔、叫び声、そして、クラスが終わってから感想を伝えに来てくださる方々からいつも活力を貰っています。

この職だけではなく、きっと他にも自分がこの国でできることはきっとあると思います。 まだまだ広がる未知の世界に踏み入れ、挑戦し続けていきたいです。


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