リレー随筆


仁義なき戦い--イタリアン痴女


渡辺 夏子 Air Canada 客室乗務員


◯月☓日 くもり
年に一度の乗務員資格更新訓練&試験初日。実地訓練のミニチュア機内で発生する火災演出の白煙が今年は過剰放出で、昭和の玉姫殿みたいだとゲラゲラ笑っていたら本物の呼吸困難に陥った。白眼を剥いてぶっ倒れながら、この場合の「ぶっ」の部分はどう訳すのかなとぼんやり考えるうち意識が遠のいた。


◯月☓日 雨
訓練二日目終了。激しいストレスの続く試験を終え、唯一の楽しみだった夕食がチーズパスタとサラダとクッキー。四つ足の畜肉由来トリプトファンを一番必要とするタイミングにこんな食事で暴動が起きないどころか「ワーオ、ヘルシー」とか言ってるバカ外人どもと一緒にヘラヘラしていた自分も許せない。肉はどこだ、肉よこせデモだ。


◯月☓日 暴風雨
悪天候による空のダイヤの乱れは、相次ぐ変更の余波で食事の数にも影響が及ぶ。
ある夜の国内便、数日に渡る長い日程最後の一本を前にスタバからA319型機に戻ると、ビジネスクラス用カートの封印が破壊され、食事が半分以上抜き取られていた。

機内にいた清掃員たちによると、我々がコーヒーを買いに出るやいなや、隣のゲートに停泊していた機体から女性クルー2名が侵入、メインのキャセロールを両手一杯に抱え全速力で走り去ったという。戦いに仁義などないのだ。


◯月☓日 くもり
昨夜遅く英国ロンドンから帰宅、またこれからロンドンへ。六日間で二往復。
ヤクザな商売なのでいつも唇には薔薇の花びら、心にはHello Kittyでいたい。
しかし空港までの地下鉄内で聞く音楽は今夜もAC/DCだ。


◯月☓日 にわか雨
成田からのフライト中ずっと手を握っていらした40歳前後の日本人ご夫婦。
握っていたというよりもご主人の左手の上に奥さまの右手が常に包み込むように乗っていた感じ。寝ているあいだも一瞬も離れることなく。

降機時にようやく気付いてハッとした。彼の手は真新しい義手であった。


◯月☓日 晴れ
アラスカ上空で突然、荷物を全部持った70歳くらいの日本人男性が後部ギャレイに来て「この電車いつになったら新橋に着くんですか、今すぐ降りる」と言い張り、冗談でなく本気だと判って上司と二人顔色が変わった。

機内に居合わせた医師の指示で明るい後部窓際に移動し、着陸までの五時間付きっきりで彼の話に寄り添った。

窓外の景色を書割と信じる老齢の彼の脳内世界は時間軸までも流動化しており、突然まじまじと私を見つめ「こんなところでまた逢えるなんて。きみは昔のままだね」と頬を愛しむように撫でられた。

吃驚したが思わず「あなたもあのときのままですね。少し眠りましょうか」と口を突いて出た自分にはもっと驚いた。


◯月☓日 たぶん晴れ
一気に13日くらいまとめて眠りたい。


◯月☓日 雷雨
KitKat、北園克衛、羊肉のパイ、全然効いて来ない眠剤、さあどんな悪態をつこうか。


◯月☓日 槍
エンジンが落ちた。


◯月☓日 くもり
飛び切りの笑顔と豪胆さで乗務員のあいだにファンも多い某氏。ビジネスクラスの掛け布団が濃紺から白に衣替えしたのを見て「夏ちゃんこりゃまるで遺体安置所だね、ギャッハッハ」と笑われた旨先輩に報告したら「えーっ、いくら◯◯さんでもそれは酷い、夏ちゃんはそんなこと全然ないよ」と猛烈に怒っている。

やや話が噛み合わないので確認したら「夏ちゃんはまるでイタリアン痴女だね」と言われたと聞き間違えたらしい。

日本代表としてひとこと申し添えるが、痴女に国境はない。


◯月☓日 黄砂
チチハルの空港コードはNDGだが、「NDG48」でデビューしてもまさか拠点が黒竜江省の斉斉哈爾だとはマニアにしか判らない。


◯月☓日 快晴
斉斉哈爾、乳張る、満月の前後はけっこう痛い。



この号の目次へ戻る   「リレー随筆」記事一覧ページへ