リレー随筆


ヒューマンファクターズってなんだろう


溝渕 佐知
ヒューマンファクターズ研究者 Vocalage Inc.


カナダに来て4年余り。初対面の人と話す糸口として、「自分は何をしている者であるか」をお話する機会がしばしばありますが、「Human Factors研究者」と聞いて内容の見当がつく方はどの程度いらっしゃるでしょうか。

英語でもあまり一般的でないようで、よくHuman Resources(人事)と混同されます。ほぼ同じ概念であるErgonomics(人間工学)という言葉の方が、認知度は高いかもしれません。こちらもしばしばEconomics(経済学)と間違えられるのですが...。

応用科学の一つで、Engineering(工学)およびPsychology(心理学)と深い関係があります。人間によって作り出されるモノやシステムを、人間が使いやすいものにすることをゴールとしています。

例えば、長時間座って作業しても疲れない机と椅子を設計するために、人間の体の各部位のサイズや可動域を調べ、机・椅子のデザインと疲労との関係を検証した上で最適化を測る、というような内容が古典的な人間工学の仕事です。近年では、扱う対象は物理的なモノから、情報システムのような複雑なものに広がっています。

私自身は日本での会社員時代も含めてこの5、6年、自動車-人間系を研究対象としています。自動車においては、携帯電話普及の初期のころから、車内ICT(Information and Communication Technologies)が運転に及ぼすリスクについて研究が行われてきました。中でも、トロントの研究グループによる「携帯電話使用中の事故のリスクは使用していない時の4倍も高い」という結果を報告した研究[1]はよく知られています。

携帯機器を操作する際に手指が拘束されること、視線がそちらに向くので前方不注意になること、などがリスク上昇の主な原因と考えられましたが、その後のシドニー大学の研究[2]では「携帯電話の手持ち使用では事故リスクが4.9倍、ハンズフリーでも3.8倍と、事故リスクが大幅に上昇する」という結果が得られ、問題は「よそ見」「手が塞がる」といった視覚的・物理的要因だけではなく、話すことによる認知的な(Cognitive)負荷も無視できないことが分かってきたのです。

さらに最近では、実際に声に出して話さなくても、言葉を考えるだけで反応時間が遅くなるという報告もあります(これもトロント大の研究です[3])。

負荷の低いシステムをデザインするためには、認知的リソースの配分はどのように行われているのか?どのようなタスクで認知負荷が高くなるのか?どの程度の負荷でどの程度の影響が出るのか?など、人間側の負荷のメカニズムを明らかにしていく必要があり、Driver Distraction(運転注意阻害)と呼ばれる研究領域となっています。

2013年に米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)から車載情報機器の視覚的インタラクションデザインに対するガイドラインが発表されたこともあって[4]、近年自動車業界やヒューマンファクターズの世界では注目されているトピックの一つです。

研究者は、例えば「こういう状況では負荷が高く/低くなるのではないか」といった仮説を立て、その検証のために実験をします。実験参加者を募って、様々な条件下で課題を行ってもらい、そのパフォーマンスを分析します。全ての実験参加者に同じ条件を再現するために、実験はもっぱらコンピュータやドライビングシミュレータを使って行います(実車走行での実験や観察というアプローチを取る研究者もいます)。

自然科学の実験と違って、きっちり答えが出ることは少なく、より「確からしい」解を求めて統計的手法でデータを分析していきます。仕事時間のうちのほとんどは、過去の文献を調べたり、実験データを分析したり、まとめを文章化するためにコンピュータに向かっています(至極地味です)。

将来、自動車が完全に「自動化」し、人間が何もしなくても車が適切な行動を取ってくれる世界が来るのかもしれませんが、そこに至るまでには、やはり人間と情報機器とのインタラクションの特性を知り、人間がコントロール可能なレベルでの情報提供の方法を考える必要があるでしょう。

「便利な技術は最大限利用したい。しかし安全を犠牲にはできない。」というジレンマの中にあって、人間側の特性と限界を理解した上で最大限の幸せにつなげようと日々(地味ながら)奮闘しているのがヒューマンファクターズ従事者なのです。


[1] Redelmeier, D. A. and Tibshirani, R. J. (1997) Association between cellular-telephone calls and motor vehicle collisions, The New England Journal of Medicine, 336(7), 453-458.
[2] McEvoy, S. P., Stevenson, M. R., McCartt, A. T., Woodward, M., Haworth, C., Palamara, P. and Cercarelli, R., (2005) Role of mobile phones in motor vehicle crashes resulting in hospital attendance: a case-crossover study, BMJ, 331(7514):428.
[3] Spence, I., Jia, A., Feng, J., Elserafi, J. and Zhao, Y. (2013) How Speech Modifies Visual Attention, Applied Cognitive Psychology, 27: 633–643.
[4] http://www.distraction.gov/download/distracted_guidelines-FR_04232013.pdf




この号の目次へ戻る   「リレー随筆」記事一覧ページへ