リレー随筆


プロフェッショナル


大城 大器
ヤマハカナダミュージック


右手でシャリを優しくにぎり、その間左手でつまんだネタに山葵をつける。

一片の無駄もない動作で美しいかたちに成った寿司は、一瞬にしてお客様の口の中でほろりと崩れる。

何かを極めた人をプロフェッショナルと呼ぶが、寿司職人である父もその一人だ。そんな父の背中を見て育った私は、自然と「仕事 = 何かを極めること」 だと思っていたし、自分にとってそれは何か考えるようになっていた。

そして今私は「初心のプロフェッショナル」を目指している。

初心を極めるとは逆説的に聞こえるかもしれないが、こう思うきっかけになる出来事があった。

私は以前インドやマレーシアといった新興国で音楽教育を推進する活動をしていた。たとえば、子供たちが楽器を習えるよう小学校にその環境を作るといったものだ。大変意義深い。しかし同時に、彼らが音楽を楽しめるようになるまで一体どれくらいかかるだろうと自信を持てずにいたのも事実。

そんな時、ちょっとしたことが起きた。ついに初めてのレッスンがスタート。ひとりの生徒が目の前のキーボードに人差し指を置いた時、

「○$#%^&*!!!」

教室全体が大騒ぎになった。よく見れば、見学に来ていた算数の先生まで一緒になって鍵盤を叩いてるじゃないか。

結局騒ぎはおさまらず1時間で予定していた「ドレミファソ」さえ教えられなかった。音楽教育には程遠い。やっぱり難しいか―。

そう思っていた時、私を囲むように「Thank you」と言う声が広がった。生徒たちだ。何が起きたか分からなかった。

その瞳は宝石のように輝いている。彼らは、自分の指先から音が生まれたこと、ただそれだけに興奮していたのである。それは純粋な感動だった。

ああ、これだったと思い出した。私自身初めてギターに触れた時、胸を満たしたのはこの気持ちではなかったか。「人より上手く弾ける」とか「高品質の新機能」とか、私が普段公私で追求しているものなんて関係ない。

初心者は、漕ぎ出したばかりの未知なる大海原にただワクワクするものなのだ。この気持ちを知らずに、誰かに音楽の楽しさを伝えるなんて到底できない。

本物のプロフェッショナルとは、けしてお高くとまらず「初心」で人の気持ちを理解できる人のことだ。自身が楽器を弾いて17年、仕事にして8年。忘れかけていたものを子供たちに教えられた。

それからは色んなことに挑戦してみるようになった。音楽、料理、芸術、スポーツ…なんでもいい。ひとつのことではなく「いつも何かの初心者であること」を極めるのも面白い。

言ってしまえばただ広く浅いだけなのだが、これが実に良い循環をしている気がする。自然とあらゆることに興味がわき、新鮮な感動を味わえ、不思議なことに連鎖反応で飽きていたことにまで新鮮な情熱が戻ることもあるのだ 。

初心者であることは贅沢な嗜みだと思う。その楽しみはいつでも誰でも味わえるし、幸運にもここカナダは新しい挑戦に寛容な国だ。

今一度、父の背中を見つめてみる。

それぞれのお客様に合った口数で会話し、しっかり好みを伺い、絶妙なセレクトの料理を提供する。そのおまかせのメロディーに、カウンターのお客様たちは舌鼓を打つ。

この道40年余りの調理場のマエストロにも「初心」を見つけた。



   
ギターを順番待ちする生徒(インド)  リコーダーを使った音楽教室(マレーシア) 




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