リレー随筆


マイノリティリポート(?)


ニッシントラベルサービスカナダ 岩田 恵司


10年位前のハリウッド映画で『マイノリティリポート』という映画が公開されたことがあった。当時のわが家の環境下では必然的にファミリーコメディか?とも思ったが、 シリアスな内容のSF小説を映画化したものだった。ひとことで言うと権力者の利害に悪影響を及ぼす少数意見をつぶすと言ったストーリーだったと思う。

トロント在住も気が付いたら15年目となり、その前に米国に2年半居住していたので、祖国を離れてもうすぐ20年だ。そんな気の遠くなるような時間が過ぎようとしているのか、と自分でも驚く。

小さな島国を離れて、北米大陸の白人社会で生活すれば当然我々はマイノリティである。日本では感じる事がなかった様々な価値観や文化や常識の違いに直面し、日本人であることを思い知らされる。特にトロントは様々な民族や国籍の人たちが母国の感覚を持って生活しているので、価値観、文化、常識などは多種多様である。移民1世2世の人も多く、生活や考え方も母国が基準となっている。

つまり その数だけ国民性というものが混在していると言えるかもしれない。トロントではそのようなマイノリティが、母国の誇りや文化を捨てることなく互いを尊重しながら共存することのできる、世界でも数少ない大都市ではないかと、15年目に入った今でもつくづく思うのである。


さて、このような人間の構図を娘二人が共存するわが家にズームアップすると、性別の異なる私は完全にマイノリティである。犬も入れると4:1である。世間一般では決して珍しい境遇ではなく、少数派の度合いが更に強い家庭が数多くあるのはもちろん承知の上、という事を前提に客観的に家庭内を眺めると、子供らが成長するにつれ、彼女らの結束は徐々に強くなり、鮮明としてくる事態にちょっと戸惑いを覚えた。

それだけ子供達の自主性が育って、個性が強調されてきた結果であるのかもしれないし、世間一般では当たり前の現象なのかもしれないし、ただの親父のひがみ?なのかもしれない。

“3”のマジョリティたちはいつでもコミュニケーション良好で、勢力も強い。歩く時も3で固まる。彼女らは決して少数派の私を無視したり軽視したりする事はないが、はっきりと自分の世界を持っていて、何をしたいのか、するのか、逐一明白である。

このような言い方をすると好印象だが、自動車教習で教わったハンドルの遊びの部分が無いと言う状況に似ていて、目標が明白にならない時の舵取りはぶれが激しく、迷走状態に陥ることもあった。

わが家では、映画館やショッピングセンターなどに行くと、入り口で集合時間と場所を決めて、いきなり解散である。お互い興味のないことに付き合わずに済むので、自分自身もその場は快適と言えばその通りなのだが、たとえつまらないことでも家族で過ごした時間、という価値や経験の方が大切ではないかと考えてしまう。

その場は各自が超合理的な時間を楽しめても、結局後から思い返した時、誰とどこで何をした、という思い出が失われているようでならない。目標を持つのはもちろん大切なことであるが、そこに至る過程に試行錯誤があった方が、得られるものは多いだろうし、人間らしいと思う。

そうこう考えているうちに長女は巣立ち、次女も同居はしているものの、あと一年で 学業は終了?予定、妻は一年ほど日本帰国、現地解散状態になった。


確かにその昔、かっこ良く言えば、二十歳になったら自立できているように育てたい、と思っていた。しかし一方では、子持ちが早かったこともあって、親の方が子供たち成人後のフリータイムを一刻も早く迎えたい、と言う野望と焦りがあったのも確かだ。子供達がそんな親の都合を感知した影響で、日常生活でも感じうるような突出した自立心が成長したのだろうか?今一つ未完成感が残る。

本当についこの間まで、家族全員で食事をしたり、外出したりと言う時間は、ごくごく当たり前過ぎる日常の風景だった。しかしそれが限りのあるものであって、かけがえのない風景であったことを今更ながら、ふと思うことがある。これからどのように家族の形が変わっていくかわからないが、戸惑いを覚えた家庭内のマイノリティの立場も、今振り返るとあの僅かな一瞬だけだったのかもしれない。


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