リレー随筆


キャンプという非日常


Honda Canada 野口 穂高


時々、アウトドアに興味のない人から、「キャンプのどこが楽しいの?」と聞かれる。私は、毎年キャンプに出掛けているが、そのような時は、「“不便さという非日常”を楽しむのですよ」と答えている。時折、自宅でもキャンプ道具を出してきては、ベーコンなどの燻製を作って楽しんでいる。たまの“非日常”だけでは、やっぱり物足りない。

情報システムという仕事柄、普段は、目の前にPC、スマホ、タブレットが何台も並んでいる。日本のTV会議システムを遠隔で操作して会議を行うこともある。便利で結構だが、何だか妙だ。今年発売されるメガネ型情報端末に思いを巡らせながら、一方で電波の届かない自然の奥地を贅沢に感じてしまっている。

3年前、カナダに赴任し、カヌーキャンプのことを知ってから、一度は行ってみたいと思っていた。アルゴンキン州立公園では、Hwy沿いのキャンプも経験し、今回は一歩足を踏み出し、念願のBackcountry Campをと心を躍らせた。

カヌーキャンプ初心者である私の心配は、いくつもあった。第一の関門は、家族。最低でも3日は欲しいが、そこは、トイレも外に箱が置いてあるだけのところで済ませる。シャワーもないため、湖の中で体を洗うことになる。妻と9歳の娘に話を持ちかけたところ、ムースが見られるという言葉に乗せられたのか、あっさりOKの返事。その後、度々言われた、本当に見られるよね?…という言葉がプレッシャーになってしまったが。

日本のキャンプではまず経験しないことも多い。食材を木に吊るして保管するなどの熊対策、湖から湖へカヌーをかつぐポーテージの方法など、初めてだと分からないことだらけ。最初は教えてもらうのが手っ取り早いと、現地のガイド付きツアーキャンプに参加した。時期はムースに出会いやすいという6月を選んだ。



ツアーと言っても結局参加したのは私たち家族3人のみ。初日、カナダ人ガイドと共に、昼ごろHwy沿いのCanoe Lakeを出発。300mのポーテージを経て、約12km先のTom Thomson Lakeに向かう。休憩も入れて4時間強。娘も飽きずにカヌーを漕ぐ。夏の心地よい風を受けながら進むカヌーは、何とも気持ちがいい。

初めて体験するポーテージもカヌーをひっくり返すコツをつかめば、一人でできると分かった。赤い目をしたLoonが魚を狙うのを横目に、さらに進む。目的地に着く寸前、お目当てのムースが2頭、藪から顔を出し、湖の浅瀬で水草を食み始める。まだ若そうだ。家族も息を潜めながら身を乗り出す。約束を果たせ、私の肩の荷も下りた。結局、翌日も別のムースに出会うことができた。

初日、順調にキャンプサイトに到着。だが、安心したのも束の間、伏兵が襲いかかる。見たこともない程の大量の蚊だ。ブラックフライの時期は終わっていたため、多少安易に考えていた。虫のいない9月にしておけば良かったと思ったが後の祭り。ガイドから借りたバグジャケットを着るが、耳元でブンブン鳴る蚊の音を聞いているだけでかゆくなる。娘はトイレでお尻を何カ所も刺されたと泣きながら戻ってきた。食事中も何度誤って口に入れてしまったことか。

しかし、サイトから見る夕暮れは素晴らしかった。見渡す限り、森と湖に囲まれ、ひっそりとした静けさが時間を忘れさせる。自分たち以外、人の気配を感じることもない(蚊の気配は相変わらずだったが)。時折、ポシャンという魚の跳ねる音が辺りに響く。私たちが蚊と格闘している間、ガイドはビーバーが近くを泳いでいるのを見つけてくれた。急ぎカヌーを出して、水面の動きを見ながら静かに後を追った。

最終日、心地良い疲労感と共に、顔や手のあちこちに掻き越した赤い斑点をつけて、ゴールを目指す。見た目は少し逞しくなったかもしれない。最後の湖、Canoe Lakeでは、画家のTom Thomsonが拠点にしたという湖畔の小屋を通り過ぎる。小さなカヌーの前に広がる湖と森、漕いでも漕いでも、進んでいるのかもよく分からない。広漠とした雄大さに、Hwy沿いから見るのとは違うアルゴンキンを感じた。

キャンプという”非日常”。でも私のような駐在員にとっては、カナダでの日々も、言うなれば “不便さを楽しむ非日常” かもしれない。限られた時間の中、仲間との仕事や、家族とのカナダライフを大切に味わいたい。


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