「こんにちは!」新代表者紹介インタビュー


<第82回>
Honda Canada Finance Inc.
President 大島 哲夫 

ホンダカナダファイナンスに社長としてご着任された大島氏にインタビューをして参りました。オフィスはマーカムにあるホンダカナダさんと同じビルにあります。入口にはアキュラ車、オートバイ、ATVやレース用ユニフォームなどが並ぶショールームがありました。中近東やアジアを担当されていた営業時代のエピソードや、日本とアメリカのホンダのファイナンス部門でご活躍された大島氏のご経験を聞いて参りました。


(松田)御社の事業内容のご紹介をお願いします。

(大島氏)ホンダカナダファイナンスの事業は、所謂ファイナンスサービス、金融事業ですが、特に我々は、キャプティブファイナンスと言われる、母体である親会社の製品の販売を金融事業の面からサポートする事業をしています。具体的には、お客様が買い易くなるような金融プログラム(ローンやリース)を提供すること、そして販売店様(ディーラー)への資与信をすること、それほど多くはありませんが、販売店様への新店舗設立時や店舗改装資金のためのコマーシャルローンも行っています。

事業拠点は主にこちらマーカムのオフィスですが、ケベックとバンクーバーに支店があります。社員数は現在全てを合わせて209名です。

(松田)御社の設立はいつになりますか?

(大島氏)1987年1月です。意外に思われるのですが、当社の始まりは四輪車ではなく、二輪車の販売事業の与信のためでした。四輪車購入のためにローンを組むには、銀行やその他のファイナンス会社などが既に多数あり、必ずしもお客様から直接のニーズが高かったという訳ではなかったんです。しかし当時は二輪車購入のファイナンスはなかなか銀行などでやってもらえず、そのお客様をサポートする事を主として設立されました。これはアメリカも同じで、最初のファイナンス事業は二輪車を購入されるお客様、販売される販売店様をサポートするためでした。現在ファイナンス事業の中心はほとんどが四輪車のお客様になっています。

(松田)御社の強みはどこにあると思われますか?

(大島氏)大手カナダ銀行との自動車ファイナンスでの競合もありますが、当社の事業はキャプティブですので商品のように熾烈な販売競争をする競合相手があるわけではありません。あくまでもホンダの製品を購入されるお客様のサポートが主です。そのため、強みといいますとお客様の視点に立った使い勝手が良い金融サービスを提供しているということでしょうか。借りやすく、支払いしやすく、完済しやすい便利でスピード感のあるサービスというところに重点を置いて常に施策を練っています。

業界にはまだ余り広まっていませんが、カナダでは2週間単位で給料の支払いがある会社が多いため、販売店からバイウィークリー(2週間に1回)の返済方法の要望をいただき、そのファイナンスやリースのサービスを始めました。他にはセミマンスリー(1ヶ月に2回)というのもあり、余り違いはないように思えるかもしれませんが、それぞれの金利の計算システムは結構複雑なんです。このようなフレキシブルな支払いを可能にするシステムへの投資はかかりますが、お客様それぞれの要望に合ったプランを提供できるということで、販売店からも好評をいただいています。

またカナダでは銀行はリースを組むことができませんので、リースで車を購入されたい方は、我々のようなキャプティブファイナンスをご利用いただくことになります。

(松田)今後力を入れていきたいところはどのようなところでしょうか。

(大島氏)先進国はそれほど全体の車需要は伸びないのですが、移民が多いカナダでもそれは例外ではありません。新規のお客様もおりますが、ほとんどのお客様は代替、乗換え需要です。そのため、今のお客様にホンダの車を継続して乗り続けていただくことは大変大きなポイントです。最近ではライフタイムオーナーシップロイヤリティなどと呼ばれますが、お客様の満足度を高めることに力を入れ、心地よくホンダの車に乗り続けていただきたいと思っています。

(松田)大島さんは新しく日本人社長として来られましたが、どのような役割を担っていらっしゃったのですか?

(大島氏)ホンダカナダファイナンスは、アメリカンホンダファイナンスというLAにある自動車金融会社とホンダカナダの二社が出資しています。私の前任は、アメリカンホンダファイナンスの社長と当社の社長を兼任しており、カナダには常駐していませんでした。この度私が着任した理由の一つは、当社は現在約8ビリオンカナダドルという資産規模があり、会社の方針としてそのような会社には日本人責任者を置いておくべきであるということ。そして、当社はカナダ人社員が大変よくやっていてくれてオペレーションはほぼ現地のスタッフでまわっていますが、ライフタイムオーナーシップロイヤリティを高めるという点で、日本人なりの視点で見ることも私の役割です。

(松田)それでは大島さんのご経歴についてもお伺いしたいと思いますが、ご出身はどちらですか。

(大島氏)東京の中野区で生まれましたが、育ったのは埼玉県です。1984年に本田技研に入社しました。入社してから知ったのですが、自動車会社は完全にがマジョリティを占めており、同期入社は事務系45人、技術系はその何倍もいて私は文系出身だったので合同研修などでは肩身の狭い思いをしていました。理工系の人達は基礎研究や商品開発の仕事に就きたいというのが多かったですが文系の者は私も含めオートバイが好きという理由で入社した者ばかりでしたね(笑)。休みの日にはオートバイに乗り、新入社員の合同研修中も夜毎に皆でオートバイの話をしていました。最近入社する事務系の社員者はオートバイの免許をもっておらず、時代が変わったという感じがします。

(松田)私もホンダさんは車の印象が強いので意外ですね。入社してからはどのような業務をされていましたか。

(大島氏)入社直後は、海外物流に配属となり製造から輸出船積み、輸入等販売の流通を勉強させられたのですが、その後はほとんど海外営業畑でした。海外営業部で中近東アフリカ、特にバーレーン、クウェート、サウジアラビア、UAE、などの湾岸地域への販売をしていました。駐在ではなく東京を拠点にしており時々上司に同行して出張に行きましたが、当時は、飛行機の機体の性能が今ほど良くなく、航続距離も長くなかったので日本から、台湾、香港、ボンベイ、カラチなどを経由してサウジアラビアのジェダまで行く「南回り欧州線」という航路で行きました。途中で何カ所もストップして全行24時間ほどかかるのですが、ある国では空港についても飛行機から下ろしてもらえず、エアコンもつかない飛行機の中で待機しなければなりませんでした。

一番嫌だったのは、成田から乗った周りのお客さんが途中で降りていってしまうのでどんどん人が少なくなり、交替されるスチュワーデスの人からも「それでは御機嫌よう、さようなら」を何度も聞かなければいけないことでしたね。そしてやっと現地に着くと、気温は40度くらい、仕事の面でも、中近東というのは砂漠を走れるような車を持っているメーカーが圧倒的に強く、乗用車のみであった我々は苦戦を強いられ、苦労した思い出があります。

湾岸戦争が始まる1990年頃まではその仕事をし、次に東南アジア、当時のアセアン5カ国への販売の仕事に変わりました。東南アジアではオートバイが良く売れていたためオートバイが中心でした。スーパーカブというモデルをご存知ですか?日本では主に郵便配達や新聞配達等に使われるのですが、90年代初旬からそれがアジアの地域で若者を中心に格好良く変化していったんです。現地の要望からどんどんと改良したものを売り出し、だんだんと若者のファッショナブルな乗り物になり人気が出ていきました。生い立ちが違う商品がその国で独自進化をしていく姿やアセアン諸国のトレンドの違いを見るのは大変面白い経験でした。

(松田)面白いご経験をされていますね。その後はどのようなお仕事をされましたか。

(大島氏)その後はがらっと変わり、IR(Investor Relations)を担当しました。株式を保有している国内外の機関投資家に対して会社の業績を説明したり、運用会社のファンドマネージャーとコミュニケーションをしたり、証券会社の自動車アナリストへ情報を提供したりという仕事です。そこで財務諸表の見方や会社の分析方法を身につけました。そのうちIRも欧米風に進化していき、大手の機関投資家や自動車アナリストが経営陣と直接話をするアレンジをしたり、経営者は株式市場やマーケットの動きに敏感ですので、経営者が欲しい情報を入手し、外の動きや外からどのように評価されているかを出来る限り的確に情報提供(フィードバック)する仕事をやっていました。

それを日本で5年間した後ニューヨークに行き、ニューヨークでも北米の機関投資家向けにディスクローズ、会社の状況や会社の財務状況を説明する仕事、そして東京とロサンゼルスの経営陣に機関投資家の関心事項をフィードバックをする橋渡しのような仕事をしていました。当時日本のホンダの副社長はアメリカンホンダモーターの社長を兼任しており、経営トップとして海外の投資家や自動車アナリストにホンダの戦略がどう評価されているかを探る良い機会だったと思います。ニューヨークには6年間おり、その後日本に戻りIRのヘッドをやり、今年の3月の終わりにカナダに来ました。

余談になりますが、GM(ゼネラルモーターズ)の副会長にスティーブン・ガースキー氏という方がいるのですが、彼が昔米国モルガンスタンレー証券のニューヨーク自動車アナリストのエースだった頃に知り合いました。彼を見ていると、経営者は自社のフィールドだけを見ていてはダメで、株式市場やマーケットの状態を見て、企業の状態を分析できる、そして方向性を出していけるという人材も必要なんだと感じますね。

(松田)大島さんがお仕事を進める上で大切になさっていることはどのようなことでしょうか。

(大島氏)ホンダに入社してからずっと言われていることが「お客さんをきちんと見る」ということです。会社に入るとどうしても会社人間というのは誰が私のボスかと言うことになってそっちを見ながらの商売をしてしまいがちですが、「俺じゃないよ、お客様にとって一番良いことをしてね」と言っています。ホンダの従業員に聞くと皆同じようなことをいうと思います。ホンダのフィロソフィーには「3つの喜び」というのがあり、その初めの一つは「買って喜ぶ」というお客さんの視点に立ったものです。そのようにお客さんに喜んでもらうことをすることで、会社の繁栄があるということですよね。

(松田)それでは、大島さんのプライベートについてもお伺いしたいと思いますが、ご趣味はありますか?

(大島氏)若いときはオートバイに乗っていましたが、結婚して子供ができてからは家族の時間を作る為にオートバイから降りてしまいました。今は運動系のことは殆んどしていませんね。学生のときにはロックバンドをやっていて、今唯一趣味としてやっているのは楽器いじりです。楽器は何でも弾くのですが、今はギターをもってきているので時々弾いています。

最近はデスクトップミュージックの技術がとても進歩しているので、パソコンがあれば一人で作曲もバンド演奏もできるようになっていますよね。しかし部屋で夜一人でヘッドホンをつけてこもってしまって、なんだかやればやるほどどんどん外とのつながりがなくなってしまって(笑)、あまり良くないなと思います。けれどバンドとして活動するのには、仕事をしている人達が時間を調整して、スタジオを借りて定期的に集まるというのはなかなか難しく、その折り合いをつけるのが大変で、あまり良くないと思いながらも夜中に一人でパソコンに向かって楽器を演奏しています。あとは外国のブランドの高級ギターを買っちゃおうかな?(笑)とか思っているところです。

(松田)今後カナダでやっていきたいことはありますか?

(大島氏)写真を撮るのが好きなので、ニューヨークでは面白い建物がたくさんあったので、そういった建築の写真を撮るのが楽しみでした。カナダに来た当初はあまりの寒さにびっくりして、外で写真を撮るなどとんでもないと思っていたのですが、そろそろ少し始めたいと思っています。あとは、車で移動する生活になったので太らないようにしないとと思っています。今は単身で来ているのであまり旅行にも行きませんし、冬の楽しみ方をどうしようか考え中です。この年齢で、カナダだからアイススケートというわけにもいきませんしね。良い過ごし方があれば教えていただきたいです。

(松田)では最後になりますが、商工会会員へメッセージをお願いします。

(大島氏)商工会はトロント補習校の運営支援をされていると聞きました。私は以前ニュージャージーの補習校では父母会の執行役員を務めた事があり、保護者の求められるものと限られた時間での教育、学校の運営陣や先生の尽力も大変なものであり、そのような支援をされていることには大変感謝しています。商工会では色々なイベントやセミナーも積極的に開催されているので、機会がありましたら参加させていただきたいと思っています。

(松田)是非ご参加ください。今日は有り難うございました。



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