リレー随筆


“お互い様”に助けられ




WEINS CANADA INC.  伊藤 昌典



海外で仕事・生活をする事は、日本に比べ自分の力だけでは何ともできないと感じる事が多くある。会社から、職場の仲間から、ご近所さんから、そして家族から沢山サポートされて日々の生活を送っている事を感じる。その中でもサポートの大きさが分かった出来事を紹介したいと思う。

それは今年9月に次女が生まれた時の事である、そのときの家族構成は妻1人、長男(6歳)、長女(4歳)の4人家族。それに加えて出産を控えており、サポートのために私の母が日本から来ていた。

2012年9月25日(火)。突然その日はやってきた。何ヶ月も掛けてゆっくり赤ちゃんは成長しているので突然とはおかしな話だと思う。しかし、予定日までまだ3週間以上を残していた事もあり、私は全くと言っていいほど出産について準備をしていなかった。出産前に病院へ一度は顔を出そうと思っていたが、忙しさを理由に一度も顔を出していない。専門用語を調べておこうと思ったが何も調べていない。妻にしてあげようと思っていたサポートは何も出来ないのである。情けない話である。

その日、朝起きると妻は身体を起こし時計を見ていた。聞くと陣痛が始まったとのことだった。夜中のうちから陣痛が始まっており既にもうその間隔は短くなっていた。陣痛の合間を縫って(私が熟睡している横で)用意したと言う荷物を抱え、3日前に到着したばかりの私の母親に子供2人の事を頼み、取るものも取り敢えず病院へ向かった。病院での出来事は割愛するが、コミュニケーションが不自由な状態での出産は妻にとって、また病院側にとってもストレスであったと思う。頑張ってくれた両者には大感謝である。例によって父親は殆ど役に立っていないが、何はともあれ赤ちゃんは無事に生まれてきてくれたのである。

しかし、本当の困難はこのあと始まったと言っても過言ではないと思う。(あくまで私と私の母親にとって)通常カナダの出産は1泊2日で退院すると聞いていた。ところが早く生まれた事と小さく生まれた事で通常より少し長く母子共に入院しなければいけないとの事だった。

出産翌日、子供たちを学校へ送り出すべく、母親と二人で準備を始めた。通常妻が1人で行っている事を「大人二人で準備するだけの事」と高をくくっていた。ところが、子供たちはこの服は違うだの、靴下が無いだの言いはじめた。弁当を持っていけば良いとだけ聞いていた荷物についても“アジェンダ”が無いと騒ぎ出した。どんな物かも分からないものを家中探して見たが何処にも見つからないので、「忘れた!」と言って取り敢えず学校に行きなさいと言うと、学校に行かないと泣き出した。もうどうにもならない状態になってしまった。

いつもと違う状況は子供たちも敏感に感じて言動に影響を与えているのだ。ようやくなだめすかして支度を終えた頃には、涼しい季節にも関わらずこちらは汗をびっしょりかいていた。私は仕事があったので、学校への送りを母親に頼み、急いで私は会社に向かった。
泣いている長男とふてくされている娘を連れて学校へ向かう頃には、とっくに授業が始まる時間を過ぎていた。息子の通う学校では、朝の決まった時間を過ぎると通常の入り口は閉ざされ、別の入り口から入らないといけないらしい。しかし、母親はそんな事を知るわけもなく歩いていた。すると、すれ違った同級生のお母さんが声を掛け学校への入り方を詳しく教えてくれたそうだ。しかも学校まで戻って、英語の分からない母親の変わりに手続きを済ませてくれたらしい。なんとも親切な方である。

一方会社に着いた私は、上司に次女誕生の報告と昨日の突然の休暇のお詫びとを伝えにいった。すると上司からは“お祝い”と共に“お叱り”の言葉をいただいた。「海外での出産で一番不安に思っているのは奥さんだ、すぐに帰りなさい」とのありがたい言葉だった。しかし、タイミングが悪く私は期限の差し迫った案件を抱えていた。急いで自分のオフィスで仕事を整理し職場の仲間に伝えると、全てを理解してくれ簡単な引継ぎで分担して引き受けてくれた。私は、妻と赤ちゃんの待つ病院へ戻り、傍についてあげる事ができた。役に立ったかどうかは分からないが、居ることで安心はさせてあげられたことと思う。

朝の騒ぎは数日続いたが、何日かすると妻と赤ちゃんは無事に退院し家に戻ってきた。子供たちは少し落ち着きを取り戻したが、次は私の母親が日本とカナダの気温の変化と、時差ボケとが重なり体調を崩してしまった。すると今度はご近所のお母さんが学校への送迎を変わりにしてくれると申し出てくれた。まだ外出ができない妻と、体調を崩した母親には本当にありがたい事だった。ありがたく、甘えさせていただいた。またもや私は役に立っていない。

退院後、次に来る問題と言えば「夜泣き」である。おなかが空いた時はもちろん、そのほかにも突然泣き始める。時間に関係無くである。しかもうちの赤ちゃんは泣き声が大きい。そんな中でも私は役に立たない。我が家は100%母乳で育てている。私はおなかが空いた赤ちゃんにあげられるミルクを持ち合わせていない為である。そんな言い訳をして、一声掛けて私はまた寝てしまう。それでも妻は文句ひとつ言わずに赤ちゃんの面倒をみて、朝になれば朝食を作り、子供の学校の準備し、送り迎えもこなしている。

学校から帰ってくると補習校の宿題やら、習い事やらが待っている。宿題も見てあげないと間違ったまま進んで行ってしまう。宿題に付き合うには根気が必要だ。どこかで「子供は勝手に育つ」と言う言葉を聞いたことがある。しかし、どうやら子供は勝手には育たないように感じる。これがこちらの母親の当たり前の日常だと思われるが、頭の下がる話である。

私は初めての海外赴任でありながら、今のところ無事に生活を送ることが出来ている。前述したことは一部であるが、会社、職場の仲間、ご近所さん、日本の家族、そして家族にからのサポートが無ければ、無事ではいられないと思う。そんなお世話になった皆さんから「お互い様」と言う言葉を聞くことがある。日本でも良く使うその言葉だが、こちらでは少し意味合いが違うように感じている。当人同士というよりも、同じ状況にいるみんなの中の「お互い様」だと言う部分が強い様に感じている。

先日、カナダ赴任直後から大変お世話になった方が、日本へ帰られてしまった。充分にお礼が出来なかったが「“お互い様”だから良いんだよ」とおっしゃっていた。当人同士という意味では、全く“お互い様”では無い。お世話になりっぱなしだった。その時感じたのは海外赴任では短い期間に出会いと別れがある事から、同じ状況にいるみんなの中での“お互い様”といういう部分が強くなって行くのかもしれないと言う事だった。

私はこれから、まずは家族にそしてお世話になった皆さんへこれまでに助けられた恩を少しずつでも返していけたらと思う。もし本人に返せなくても機会があれば別の人へ返していこうと思う。みんな状況は同じ、少し不自由な海外生活中「お互い様」なのだから。



この号の目次へ戻る   「リレー随筆」記事一覧ページへ