リレー随筆

(妻のための?)夢の海外駐在

デロイトカナダ  山田 知輝

2008年の夏、成田空港をトロントに向けて飛び立つ飛行機の中で、ほっとしたのを今でも思い出します。

その理由は、2004年の結婚披露宴でのとある出来事からです。披露宴の司会の方にお互いの自己PRを読み上げてもらったのですが、その原稿の内容はお互いが干渉することなく記載するという方法で合意していました。披露宴という少し堅い席でもあることから、発表される大体の内容はほぼ予想していたのですが、妻の自己PRには“夢”についても触れており、なんとその夢が“海外駐在員の妻になること”だったのです。司会の方によりそれが来賓の方々の前で読み上げられ、披露宴の最中での談話の際には、「夢は叶えてあげないとね」と来賓の皆さんに言われる始末。2人での新たな出発の日に、大きな目標をセットさせらてしまいました。

飛行機の中でその事を思い出しほっとするも、初めての海外駐在であることから、トロントに近づくにつれ徐々に緊張していきました。無事にトロントに到着し、仕事および身の回りのセットアップが終わった頃、仕事を頑張るのは当然ですが、家族での海外生活も満喫しなければいけないと思い、旅行計画を練り始めました。妻と娘は後から、2008年の10月初旬にトロントに来ました。ちょうど紅葉の季節だったのですが、予定されている駐在期間(4年)を考えると、まだいくらでも紅葉を見るチャンスがあると思い、結局、そのとき紅葉は見に行きませんでした。しかし、この判断は今から思うと失敗だったのです。

そして、すぐに冬が到来し、2008年の年越しになりました。今まで年越しは日本だけでしたので、海外での年越しに非常に興奮し、盛り上がりそうな場所としてラスベガスに行きました。ラスベガスは大晦日にはメインストリートでお酒が飲め、予想をはるかに超えて開放的でした。カジノが沢山あるという場所のためか、至る所にセキュリティーがいるので、この日ばかりは公共の外の場所でお酒が飲めるようです。また、年越しカウントダウンもNew York3時間の時差があることから、Times squareでの1回目の年越し、そして、その3時間後にラスベガスで年越しと2度年越しを楽しめました。

2009年の夏には、カナダディアンロッキーのバンフ、レイクルイーズ、ジャスパー、そしてバンクーバーへ旅行をしました。レイクルイーズ→ジャスパー→バンフ→バンクーバーの順で宿泊したのですが、カルガリー空港からバンクーバーへ向かう飛行機は朝800分にカルガリー空港を出発でした。バンフに宿泊していたので、余裕を見て朝の530分過ぎにはホテルを出発する事にしました。駐車場にレンタカーを取りに行ったところ、なんと暗い駐車場でライトが点灯している車があるのです。まさか、と思いました。しかし、残念な事に、それがまさに私のレンタカーでした。

なんとかエンジンが掛かってくれと必死の思いでエンジンを掛けるも、ヒュルンヒュルンヒュルン、と全く愛想が無い、感じの悪い反応でした。これは本当にまずいと思い、ホテルに向かい走りました。ホテルのエントランスで車を待っている家族が、車ではなく慌てて走って戻ってきた私を不思議そうに見るので、事実を説明すると、さらにもっと愛情の欠片も感じられない冷酷な表情に。もう頼れるのはコンシアージュしかいないと思い、慌てて走ってデスクへ。しかし、朝の530分で担当者がいるのか?頼むから居てくれ、と内心思っていました。結局、何とか無事担当の方が対応してくれてバッテリーが復活し、バンクーバーの飛行機に乗る事ができました。

2009年は娘が3歳になるという事で、9月に妻と娘だけ七五三詣のために日本に帰国しました。私は、しばしの単身生活となったのです。そこで、私は、200910月のカナダのThanks giving day3連休に、一人、車でのNew York旅行を計画しました。しかし、出発の前日、明日はNew Yorkへ出発だと思って会社へ出社してメールをチェックをしたところ、妻から信じられない内容のメールを受信したのです。義理の父が急死したのです。当然、1人旅行どころではありません。すぐさまホテルをキャンセルして、日本行きのエアーチケットを手配し、日本に帰国しました。その後、私だけカナダに戻りましたが、妻と娘は日本に残り、私は再度年末に日本に帰国しました。駐在期間中は、日本への帰国は仕事以外は絶対無し!と固く誓っていた私ですが、これはまさに想定外の出来事でした。

2009年の年越しは日本でしたので、次の旅行先を検討することにしました。2月にオンタリオ州はFamily dayという祝日があるので、その三連休で行くことにしました。場所は、冬のオタワを選びました。2月にはWinterludeというフェスティバルがあり、リドー運河でのスケートもできます。この時は、娘がまだ3歳でしたので、スケートはしませんでしたが、2011年に再度オタワに旅行し、リドー運河でスケートをしようと思っていました。ところが、この旅行を楽しんだ後、またしても予期しなかったBig eventが起きました。第二子の妊娠です。私は当然嬉しかったのですが、この駐在期間中の綿密な旅行計画の見直し修正の必要性が頭をよぎり、妻からの第二子妊娠の告白の際に「旅行に行けなくなってしまう」という第一声を不覚にもしてしまい、妻の激怒を買ったのを覚えています。

第二子の出産は、諸事情があり日本ですることにしました。20107月の日本への帰国前に、6月に旅行をすることにしました。場所は、オーランドのディズニーワールドにしました。ディズニーワールドは、4つのテーマパークがあり、ミッキーなどのキャラクターが現れるレストランがいくつかあります。一番人気はシンデレラ城にあるシンデレラロイヤルテーブルのようです。ここでは、シンデレラ、オーロラなどのお姫様達が各テーブルに回って来てくれ、サインをしてくれ、そして一緒に写真撮影も可能です。

妻から、人気どころのレストラン、特にシンデレラロイヤルテーブルは、娘がシンデレラの大ファンなので、事前に予約をしておいてと頼まれていたのですが、7月に日本出張(仕事)もあったことから、ついつい後回しになり、結局、予約しようとした頃には、そこを含め行きたい場所は予約で一杯の状況でした。そして、オーランド宿泊中は、それらのレストランの予約のキャンセルが無いかどうかを、毎朝必ずホテルのコンシアージュに確認するよう妻から指示があり、私はそれを適切に遂行しましたが駄目でした。後々聞いたのですが、シンデレラロイヤルテーブルは6ヶ月前から予約可能なのですが、予約可能となったらすぐに予約が一杯になるくらいの超人気レストランとの事でした。

もう駄目かと諦めていたのですが、オーランドの宿泊最終日に、駄目元で直接レストランに行き、テーブルが空いていないか聞いてみました。すでに、宿泊先のホテルのコンシアージュ経由で空きが無いことは確認済みでしたが。しかし、レストランの担当者曰く、早い時間帯のディナーならば、ごくまれにレストランに来ない予約客がいるから、430分頃来てみればと言われていたのです。私は、この超人気のレストランでそんな人がいるのかと思い、半ば諦めていました。それでも、430分頃駄目元で行ってみたところ、なんと1テーブル空いているとの事で、今すぐ入れるのならば席があると言われたのです。妻と娘は、灼熱・湿気のオーランドで遊び疲れ、近くのいすで寝ていたのですが、私は当然、2人を叩き起こしました。2人はまさかまさかの奇跡に驚きました。娘のご満悦の顔は今だに忘れることは出来ません。我が家では、これを“オーランドの奇跡”と呼ぶ事にしました。

私は、201010月の第二子出産のため日本に帰国しました。しかし、ここで一つ重要な事を思い出しました。日本への帰任が2012年の夏と予定されているので、家族でカナダの紅葉を見るチャンスはもう2011年の秋の1回しかないという事実です。2008年夏に赴任した際は、いくらでもチャンスがあると思っていたのですが、まさかワンチャンスしか残らない事になるとは、全く予想できませんでした。カナダの紅葉はこの駐在中の旅行として外せるものではありません。また、妻も父の急死および第二子出産で、200810月から201012月までの23ヶ月(27ヶ月)の間のうち319ヶ月間、日本に戻っている状況で、残りの駐在期間を満喫する旨の宣言をしています。

2011年、我が家の一番の関心事は、2011年秋に、紅葉を見に旅行に行くことです。これは祈るばかりです。

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